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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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#noteでよかったこと

今年も記念日を迎えたので。

7月7日は七夕。だけど、故郷仙台は旧暦の8月に七夕まつりをするので、やっぱりまだまだお祝い気分になれないけれども。それでも今日は、お祝いの日。 でーん。 noteをはじめて4周年。 生まれて初めての海外までひとり旅に中米はパナマを選んだときに、片っ端から旅記事を読み漁った憧れの伊佐知美さんと北鎌倉のaddressで出会って。そのまま、まるでそうなることが決まっていたかのように乗船した #旅と写真と文章と のみんなに「note、書こうよ」と背中を押してもらって登録して。えい

ゆるっと毎日更新30日目。

先月の24日に再開した毎日更新が、ゆるっと今日で30日目。「毎日更新、やります!」と宣言してしまうと、更新できなかった自分を嫌いになりそうだったので大きな声では言っていなかったのだけれどね。夜に書けなくても生活のどこかで時間を見つけて書けるようになってきたので、やっと毎日更新が生活になりつつある。 前に毎日更新していた頃は、閲覧数やいいねの数をつい気にしてしまうこともあった。でもそういえば、今回は一度もダッシュボードを開いていない…‼︎ということに気付いて、今ちょっと眺めて

毎日更新は、わたしがわたしを好きでいられる材料であって欲しい。

昨夜は、いつもの「テキスト」の表示を横目にエイヤっと「つぶやき」をクリックしてみた。 7月7日にnoteの#毎日更新 を再開して以来、一昨日までの22日間は毎日「テキスト」画面を開いて、その時々に感じていることを言葉にして綴っていた。話を脱線させたり自分で自分にツッコミを入れたりしながら、毎日2,000字と少しの言葉を綴っている。 ちなみにこの「テキスト」画面では、1記事につき100万字くらいの言葉を綴れるようになっているらしい。インタビューをしたりしてもらったりしたとき

文を書く才能はなくても、「書いたものを読んでもらうことが好きな子」にはなれる。

小学1年生の頃、学校の宿題に「日記」を書くことがあった。わたしの通っていた小学校は、毎年児童全員の作文を製本して文集を作るような、文を書くことに力を入れている学校だった。 そんな学校だったからだと思う。小学1年生の、ひらがなを全て習ったかどうかくらいのタイミングから、毎日「日記」を書いて担任の先生に提出することが当たり前になっていた。その日記帳には、毎日ひと言コメントが書かれていた。 「〇〇ちゃんと、公園であそんだよ」と書けば「楽しく遊べてよかったですね」、「妹と、ケンカ

iPhoneは「アイフォーン」で、「アイホン」でも「アイフォン」でもないらしい。

iPhoneの画面がバッキバキになった姿は、自分のものではないにしろ一度は見たことがあるだろう。 わたしが最後に見たのは、多分大学生の頃だったと思う。当時、わたしの周りの大学生は、「一人に一回は経験したことがあるんじゃないか」と思うくらい、常に誰かしらのiPhoneの画面がバッキバキにひび割れていた。そして、誰もが「お金がないから」とか「親に言いにくいから」とバッキバキのiPhoneを使い続けていた。 わたしもそれなりにiPhoneを落っことすタイプの人間なのだけれども、

気付いたら毎日更新を再開してゆるっと一週間経っていたので、この一週間のnoteを振り返ってみた。

先週の、ちょうど水曜日のこと。 ここ最近しんどい日が続いているのに、今日も残業してしまった。こんなに疲れてるんだもん。明日に疲れを引きずっちゃうんじゃないだろうか。 そんなことを考えながら地下鉄に乗ってiPhoneを開くと、noteから通知がきていた。 noteをはじめて2周年記念! その記念日が嬉しくて、「記念日がたくさんあるカップルは、続きやすいらしい。」なんてnoteを書いたのがはじまり。今日までの一週間、毎日noteを更新している。ちなみに、この記事は #no

種を蒔き、小さな芽をかわいがっていこう。

じゃあ、わたしのやりたいことってなんだろう。。。 この問いに初めてぶつかったのは、小学校から中学校へ、中学校から高校へ、高校から大学へとなんの疑問もなく進学してきて、いざ就職が目前に迫ったとき。初めての算数の授業で一筆書きの「8」が書けなかったわたしは、小学1年生にして高校進学時には文系に進もうと固く決意していたし、小学校時代と中学校の特別支援学級に愛着をもっていたわたしは、迷いなく大学を選択した。「旧帝大を目指せばいい」なんていう周りの助言も無視して、あっさりと東北の地方

毎日更新 100 days。

変わらなくても満足ならば、あえて変わる必要はないだろう。けれど、よりよく変われるのならば、変わった方がきっといい。 *** 「sanmariちゃんはね、最後にはちゃんと仕上げてくるの。でも、エンジンが入ったときしか作業しないよね。まぁ、最終的に仕上げてくるからいいんだけど。」 修士論文を書いていた頃、恩師からことあるごとに言われてきた。 自分でもよく分かっている。 考えることも、書くことも好き。だけど、「やる気」が起こらなければとことんやらない。 だから、修士論文執筆

踏んだり蹴ったりも、笑い話になっちゃうんだから、不思議だよね。

通い慣れたいつもの電車。今日は外仕事が長かったから座りたい。急行には乗らず、各駅停車の電車に乗ろう。そう思い、ふらふらと電車に乗り込み、ぱたりと座った。 夜ご飯は何を食べよう。うー。今日はお仕事がんばったし、ハーゲンダッツでも買おうかな。ご褒美だ。 なんてことを考えながらゆらゆらと。 ボーッとしていると、見たことのない駅に着いた。ホームが斜めに開いている。外は真っ暗。ここは、どこだ。 ……。 一年半この路線に乗り続けて、確かに乗り過ごしたことはあった。でもでも。行き先

ことばに残したいわたしの気持ちたち。

周りの人の口の形を読み取ること。補聴器からきこえてくる音を繋ぎ合わせること。手話。 これらを組み合わせて、わたしは音の世界とつながっている。 この世の中は、音の世界で生きている人が圧倒的多数だ。全ての情報を受け取れないことが多いわたしにとって、「わからないこと」は生活の一部になっている。と思う。 「きこえなかったら教えてね」 「分からなかったら言ってね」 と言ってくれる人はもちろんいる。 それでも、「きこえてない」ことは認識できないんだから教えられないし、わたしの中では受