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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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#どっころまいにち日記部

梅仕事は、ひとつずつ、ていねいに数えながら。

目を覚ます頃にはすっかり明るくなってきた今日この頃。 外が明るいと、なんだか活動を始めたくなるもので。ここ最近は、週末も7時頃にはベッドから出て、部屋の掃除をしたりモーニングページを書いたり洗濯機を回したり……そんな生活をしている。 平日は朝の用意をしている途中でも、布団と枕がわたしと離れたくないと駄々をこねているような気がして、何度もベッドに戻りそうになる。けれど、週末はそんなことないから不思議だ。 いつでもベッドに戻っていいとなると、そこまで魅力的に感じなくなるもの

ニガテの正体。

白いご飯にお味噌汁、焼き魚に葉のもの。 「日本の朝ごはん」いや「日本のご飯」に味噌汁は、欠かせない。 というのは、どんなテレビ番組を見てもどんな雑誌を見ても分かりきっていた。 それでもわたしはずっと、味噌汁が苦手だった。 別に、食べられないわけじゃない。というか、あまりにも「定番」なみそ汁を「苦手」と言う勇気がなかっただけだ。だって、嫌いな人とかいなさそうじゃん。 だから、給食や外食で出てきたみそ汁を減らしたことも残したこともない。 でも、家に帰ると夜ご飯のお味噌汁を

写真集がやってきた日。

立夏を過ぎてからというものの、これはもう夏なんじゃないかと錯覚するようなお日様が毎日のように顔を出す。青い空に白い雲。まるで小説の描写のような空が広がる日々。 毎日のようにベランダに出ては、ファインダー越しに空を眺める。部屋からのぞく空は紛れもなく青い空だというのに、ファインダー越しに眺めると、思っていた以上に白い雲が多いことに気付く。 今日も今日とて、青空が綺麗な時間帯がやってきた。我が家は西向きにベランダが付いているから、午後になるとぐんと日差しが強くなる。そのはじめ

とある団地の片隅で。

あんこが好き。それも、なめらかなこしあんが。 普段は職場の食堂でランチを食べるわたしも、ここ最近は職場の近くにお気に入りのパン屋さんを見つけて、足繁く通っている。といってもわたしの出勤日は週に1回だけだから、たまの贅沢。 在宅での仕事が日常になった今日この頃、外で食べる気もしないしどうせ家にいるならと、自炊が習慣化してきた。という状態は、職場の誰もが感じていて。週に1回くらいは、「外にご飯を買いに行く」という贅沢をしてもいいよね、と自然とみんなで通うようになって早1ヶ月。

ラブレターなんてもらっちゃったら、たぶん、一瞬で恋に落ちると思う。

LINEよりもメールが、メールよりも手紙が好きだ。 はじめて自分宛ての手紙をもらったのは、いつのことだろう。 記憶の中で一番古いお手紙は、幼稚園の年長さんのとき。 ある日郵便受けから手紙をがさごそと取り出した母が、わたしの顔を見てこう言った。 「あら。sanmariにお手紙が届いているわよ」 母が丁寧にペーパーナイフでその白い封筒を開けると、中には赤いランドセルを背負った女の子のポストカードが入っていた。 「しょうがっこう にゅうがく おめでとう」 そうひらがなで

同じ月を見ている。

ねぇ、窓の外、みて! 帰り道、ふと空を眺めたわたしは いてもたってもいられなくなって、思わずそうメッセージを送った。 状況が数時間単位で変化していく今週。「やる」と言われたらそのための最善の仕事をするし、「やらない」と言われたらそれに対応する仕事をする日々。 今日もそんな右往左往を繰り返した1日だった。トップが今できる最大限の対応をしようとしているのが、ヒシヒシと伝わってくる。それでも「やるせない」と表現せざるを得ないことも当然ある。 こんな日々は、ゆっく

たんと時間のある夜は。

キッチンから、醤油と酒の混じった懐かしい香りが漂ってくる。亡くなった祖母がいつも「お料理はね、お酒と醤油があれば大体味が付くのよ」そう言いながら料理をしていた姿が、脳裏を過ぎる。 わたしの、わたしたちの世界が大きく動いた約1ヶ月だった。 日々、自分が誰かを傷つけてしまっていたらどうしようとちょっぴりおびえるような。いや、本当におびえていたから、週末は一切外に出ない。そんな日々。 それでも、事態は刻一刻と変化している。 東京に来てからは特におうち大好き人間で、

言語は世界を広げていく。

Twitterのタイムラインに、ニュースの字幕に横文字が並び続ける。 たとえば「クラスター=感染集団」、「オーバーシュート=爆発的感染者増加」。 横文字から日本語になおすことで、なんとなく意味が分かってくる。それでもやっぱり視覚情報として流れてくる来れれの横文字がすっと入ってくることはなくて。日本人なんだから日本語で話してくれればいいのになぁ、なんて思っていたここ最近。 昨日、SNSを眺めているとこんな動画が流れてきた。 横文字から日本語になおしてもなかなかすっと入って

可能性を閉じる、という選択。

たとえばわたしが日々の生活の中で、根も葉もない誰かの噂に翻弄されて、傷ついて、くじけそうになったとして。 そんなの、気にしなきゃいいじゃない。 と、ひとことで一蹴できないときは、心が疲れている証拠。 「何を選ぶのか」の陰にはいつも「何を選ばないか」の意志が潜んでいる なんて言葉を憧れのお姉さまがたが口を揃えて言うその姿を、わたしはただ何となく見つめているだけだった。 「sanmariの頭の中は、お花畑だよね」なんて言われることが、時たまある。 わたしは周りの人たち

オンライン写真展が、はじまったよ。 #旅と写真と文章と

まいにちnoteを書いていたときに「まいにちnoteの良さって何だと思う?」と問われたことがある。 当時はまいにち更新することが日課で、特に良いものとか大変なものとかいうふうに捉えていなかったから、この質問にはすごく悩んだ。そのとき、質問をしてくれた人の言葉を借りながらひねり出した答えが 「ネガティブなことばっかりだったような気がする日」の中にも本当はそうじゃないかもしれないんだけどっていう「余地」があることに気付けること。 実は今日、noteに書きながら頭の中を整理し

あの夜の無力感を、わたしは生涯忘れることができないと思う。

2011年3月14日月曜日 朝のホームルームで担任が出した新聞の一面を見たわたしは、ポロポロと涙をこぼした。わたしの生まれ育った、見知った街並みが津波で流されていくその様子を写した、大きな写真だった。 *** あの日、あの時間。 わたしは、何をしていただろうか。 当時父の転勤で福岡に住んでいたわたしは、いつも通り学校を終え、塾へ行った。 「sanmariちゃん、宮城出身よね。なんか、すっごく大きな地震があったみたいよ。おうちに連絡してみな」 塾へつくやいなや、先生

たかが踏み台、されど踏み台。

そういえば、あの踏み台はどこに行ったんだろう。 あれは確か、幼稚園の頃住んでいた家でのこと。なんでも自分でやりたい、そう思いつつ洗面台の蛇口まであと一歩手が届かなかったり、鏡に写る自分の顔が下半分にしか写らなかったり。それでも、だっこをされるのも両親にやってもらうのもなんだか釈。そんな頃。 ある日幼稚園から帰りると、あの踏み台が洗面所にポツンと置かれていた。 おそるおそる踏み台に乗ってみると、蛇口に手が届く。手洗いうがいを済ませて鏡を眺めると、自分の顔が切れることなく見

相手のことを思って、人が人を大切にするということは。

それは、お稽古終わりの挨拶のときだった。 卒業証書のかわりだと思って受け取って。 と、先生から白い箱が手渡された。 中身は、薄ら桃色の草履。 あまりにも突然の出来事に、固まってしまったわたしへ先生が続ける。 わたしの実家はね、草履屋なのよ。 だから、うちのを履いて欲しくてね。 顔をあげると、にこにこと笑みを浮かべた先生の顔があった。 *** 高校生以来のお茶を再開して約10ヶ月。秋頃に炉が出てからは、初釜に向けて着付けのお稽古もしていただいていた。 年末にはな

My here:花のある生活。

小学4年生になる年に、父の単身赴任が決まった。それまで住んでいた家は、父の会社の借り上げ住宅。そんなわたしたちが新たな住まいに選んだ家のベランダからは、ぽつんと佇む一軒の花屋が見えた。 花屋さんは、店長のばばを含めて3人で切り盛りしている小さなお店。 学校から帰ってくると 「おかえり」 と迎えてくれ、お出かけのときには 「いってらっしゃい」 と見送ってくれる。 いつの間にか家族ぐるみで仲良くなって、一緒にドライブにもいった。 母が花を愛する人だということも、この花屋さんと