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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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#今こんな気分

ハリーポッターたちと共にオトナの階段を登ってきた世代なので。

プリベット通り四番地に住む少年と出会って、20年とちょっとの月日が経った。 はじまりは、確か小学2年生の夏休み。母が「これ、おもしろいらしいよ」と買ってきてくれた濃紺の分厚い一冊。やっと「こまったさんシリーズ」なんかが読めるようにはなってきたとはいえ、綺麗すぎる表紙のイラストとその分厚さに圧倒されてなかなか手を出すことはできなかった。 その本を開いてのめり込んだきっかけは、秋を過ぎて冬になって、お正月に帰省していた叔父に誘われて『ハリーポッターと賢者の石』の映画を観に行っ

現状維持だって、立派なスキル。

今日で、5月もおわり。 今月は、GWの帰省にはじまり、マルシェのスタッフをしたりパーソナルカラー診断を受けたり、とにかく周りに恵まれて穏やかに過ごしていました。特段大きな良いことがあったわけでも、悪いことがあったわけでもなく、でも穏やかにご機嫌に暮らしています。 人前では強がってしまうことも多いけれども、心身ともにどちらかといえばヨワヨワなので、こういう何気ない日々が続いていくことってわたし的にはすごいことだなって。幸せに感じています。でもやっぱり、どこかで聞いた「現状維

poison

小学校一年生の生活科の授業でパソコンを触って以来、SNSはいつもわたしの近くにいる。特にスマホを手に入れてからというものの、いつでもどこでも「〇〇なう」と呟いては誰かと繋がっている。 大学生の頃は、Twitterでその場の写真を呟けば近くにいる誰かと集合しておしゃべりしたり遊びに行ったり、直接つながるきっかけによく使っていたと思う。当時のアカウントは、友達の写真や大学近くの写真がとにかくたくさんアップされている。 さすがに社会人になるタイミングでこのアカウントは鍵をかけて

2023.0311

ふと時計を見たら、14:46だった。 あの日わたしは東北どころか東日本にもいなくて、この世界がぐわんと揺れたこともまるでほとんど知らないまま、その午後を九州は福岡で過ごした。 学校帰りに塾に着くと、講師の先生たちが駆け寄ってきて 「東北が、地震で大変みたいよ。お家に連絡したら?」 と、わたしより早く授業に来ていた妹が受付に預けてくれていた携帯電話を渡してくれた。 宮城はよく揺れる 小さい頃から、震度5-6強程度の地震には何度か遭遇してきた。自宅のエレベーターが止ま

明日の元気 良い塩梅の ショートケーキ

昼下がり、ちょっとお茶でも飲もうかなとスマホを手にすると「渡したいものがあるんだよね。今から夜ご飯食べに行かない?」なんてメッセージが届いていた。 ちょっと迷った。職場で雑談ついでに「このまま飲みに行っちゃう?」とかそういうのは平気だけれども、当日急に誰かと待ち合わせをして出かけることが、わたしはあまり好きではない。 というのも。職業柄、通勤したら着替えをするので、普段は家と職場をちょっと足を伸ばしてもスーパーに行くくらいのお洋服で済ませてしまっている。もちろんお化粧も、

愛はここにあって まだ言えない理由も夢中も 全部笑って待ってる。

新しい音楽を知る というタイミングが、わたしの生活には、そんなにない。お家に帰ると補聴器は外してしまうし、動画とかも音無しで字幕だけを追っていることも多いから。 だから、音楽をよく聴く人が横にいて、新しい音楽が入ってくるという環境がとても新鮮だ。 子どもの頃は、毎週末Mステを流して、CDTVとかも自然に入ってくるような環境だったけれども。聴力が落ちてきたタイミングでテレビも手放してしまったので、いくつかのドラマやアニメのテーマソングとたまにTikTokで流れてくる音楽を

文脈とか言葉とか経験とか。

こんなメッセージが届いた。 わたしは、心底驚いた。というのも、その人の職場の周りにはカフェや美味しそうなお店が並んでいて、【出社】する日はそういうキラキラしたお店にふらっと入って美味しいものを食べたり、ちょっとつまめるスイーツを手にして午後の職場に戻り、小腹の空いた夕方はそれらを片手にパソコンをカタカタ……みたいな生活をしていると思っていたから。 そんなことは全然なくて、「帰宅する頃はいつも疲労困憊のお腹ペコペコなのよ」ということを、初めて知った。なんと。わたしは出社した

レベル29

2月8日、にやにやの日。29歳になってしまった。 0歳から10歳までは、ホギャホギャしていた(のであろう)赤子から一人で地下鉄にも乗れちゃう小学生に、10歳から20歳までは親元を離れてわずかながらに自分で稼いだお金で遊ぶ自由を手に入れたりと、随分と成長した覚えがある。 確かに、20代に入ってからも、大学生を経て、大学院生を経て、初めての海外まで一人旅を経て、3度の引っ越しをして、社会人になって、今ここにいる。でも、19歳だった頃のわたしと比べてぐうんと成長したかと問われる

パピコがなかった夜。

春夏秋冬、外食した夜はアイスを食べたい。 とっておきの日は、ハーゲンダッツを。いつもの夜は、雪見だいふくかパピコを。半分こする人が隣にいる夜は、雪見だいふくもパピコもとっておきのアイスに昇格する。 だから、帰りの電車に揺られながら「ねぇねぇ。今日のアイスは、パピコにしようね。」と呟くと(またいつもの調子で)と鼻で笑われながらも「それなら、帰り道のコンビニに寄ろうね。」と約束を取り付けて、駅からコンビニまでスキップまでしたというのに。 一目散にコンビニの奥へと進んだわたし

しんと雪が降る夜に。

さむいさむい、冬の夜。それでも「華金だしね」と理由をつければ、いつだってどこにだって駆けつけたい。 雪の降る街も、誰かと一緒に眺めるとそれはもう特別な一瞬で。真っ暗な空から白い雪がハラハラと落ちてくるそれを眺めながら、思わず目を見合わせて「綺麗だね」と呟くと「綺麗だね」と立ち止まってしまう。 そんな、しんとした週末の夜が、たまらなく愛おしい。 今晩は、寒波で電車が止まってしまうかもしれない。いや、それでも、まだ夜は始まったばかりなのに……と、いじけたくなるような食後にポ

おはよう2023

いくつもの「よいお年を」を越えて、2023年がやってきた。 2022年の最後は、大掃除を終えて、長風呂をしながらここ数年のがんばったことたちを並べていたらすっかりゆでダコのようにふにゃふにゃになってしまって、ちょうどパジャマに着替えたタイミングで年を越してしまった。 「お外から花火の音が聞こえるよ」と教えてもらったので、パジャマの上にコートを羽織って家の前の坂を駆けのぼったら最後の一発の花火がちょうど落ちてくるところで。見晴らしの良い公園に着いた頃には、あたりはしんと静ま

2022年もありがとうございました!

クリスマスあたりからの毎日は「年の瀬」を言い訳に、会いたい人たちに思う存分会って浮き足立っていたので、気づいたら大晦日の日の入りの時間を迎えようとしている。 今年は精神的にも本当に苦しいなぁと思うことがたくさんあって。正直「書く」どころではなかった時期も長かったけれども。それでも、年末に会いたかった人たちみんなに支えてもらって、「数年後こうなりたいな」というオトナたちに抱きしめてもらいながら一歩一歩踏みしめて、ちょっと足取りが軽くなって12月。 それでも、「ことばが好き」

次は「そろそろお誕生日だし」って誘うんだ。

年の瀬だから 12月は、そう言い訳すれば大好きな人たちにとことん会えるので本当に楽しい季節だなぁと思う。クリスマスのウキウキ感が過ぎ去って、世の中がゆっくり今年の終わりに向けてペースダウンしていくこの空気感が、毎年なんともいえなく好きでたまらない。 普段、 #音の世界と音のない世界の狭間で それぞれ生きるわたしたちも、年末はこっそり待ち合わせて、夜の街を音のない口形と手話でわいわいと練り歩く。 わたしたちはともに、普段の生活では主に補聴器を活用して生活していて。四六時中

音の世界と音のない世界と視えにくい日。

の究極の二択があるとしたら、迷わず【まったく聴こえなくなる】を選ぶと思う。見えれば手話や筆談をすれば良いし、生まれてこのかた【正常なきこえ】というものをまったく経験したことがないので、音がないことに対する抵抗感は小さい。 でもそのぶん【視ること】に神経を研ぎ澄まして生きているので、視えなくなってしまったらもうどうしたら良いかわからないと思う。 だというのに。 目を覚まして、トイレを済ませて、歯を磨いて、「さぁコンタクトをつけよう」とコンタクトケースをあけたら、右眼に入れ