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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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#毎日note

のべ14ヶ所の旅と39のART鑑賞をした2023年の振り返り

あっという間に、2023年も年の瀬を迎えてしまった。あっという間。今年は良くも悪くも大変ドラマチックな1年だったので、2024年は健やかに穏やかに暮らしたい。もう、ただそれだけ。 とりあえず、大晦日くらいは今年を振り返ってみようかななんて思って、今久しぶりにPC版のnoteエディターを開いているところ。おとなしく過ごしていたつもりだったけれども、振り返るとちゃっかり旅もARTも堪能した1年で5,000字越えのnoteに戦慄している大晦日の23:00。 1月 4ヶ所昨年の末

毎日更新1周年をむかえました!

noteの毎日更新を再開して、365日が過ぎた。つまり今日は、1周年記念日。 長かったような、あっという間のような。でも、200日を越えたあたりからはもう、食後の歯磨きのように生活の一部になっていて。言葉を綴らないで眠るなんて、むず痒い。 そんなわたしがnote毎日更新をはじめたきっかけは、お仕事に行けなくなってしまったこと。これは、今まであまり大きな声では言ってこなかったことなんだけれども、そうなんです。自分でもそんな自分が認められなかったし、原因も復活できる方法も本当

最終話が、苦手です。

そういえば今日は「汗ばむ」みたいな感覚に出会わなかったかもしれない。日が暮れると半袖一枚では心許なくて。そうか、もうこんな季節なのかと。 東北から関西、関東に出てきて知ったのは秋という季節。なんて言うんだろう、東北はいつも夏が終わったら冬が来て、冬が来たら夏が来る。春夏秋冬というよりは、冬【前編・後編】と夏【前編・後編】のような。 羽織物という文化がなかったので、東北に住んでいたわたしはコートといえばダウンコートとダッフルコートしか持っていなかった。だから、数年かけて薄手

ペアルックしよう!なんて、恥ずかしくてもう言えないけれど。

もうそろそろ30歳になるというのに、楽しいことが控えている前の晩は、わくわくして眠れない。何を着ていこうか、髪型はどうしようか、お化粧に何分かかるだろう……。 コーディネートを思いついたら、常夜灯だけの薄暗い部屋でゴソゴソとクローゼットからお洋服を取り出してきて、壁にかけてしまう。そのお洋服をチラチラと眺めながら眠りにつく夜は、もしかしたら当日よりも好きかもしれない。 だから、この夜もわたしが「明日はこれを着るの!」と淡いデニム地のワンピースをハンガーに掛ける姿を横目に「

「それでもやっぱり」お味噌汁がわたしを満たしてくれるはずだから。

せっかく久しぶりに二人揃ったんだから、共通の知人にテレビ電話をかけてしまおうとパソコンを開いたらなんだか楽しくなってしまって。そのままYoutubeを眺めて……と、気付いたら終電の時間。といっても、今ここを出れば、絶対に終電には間に合うくらいのちょうどよい時間。 「さぁて」と腰を上げて隣の人を見たら、もうすでに夢うつつで。黙って帰るのもなんだか悪いし 「そろそろ帰ろうと思うんだけど……」 と声を掛けると 「お家に帰ったよの連絡を待ち切れなさそうだから、泊まっていきなよ

SNS時代、目の前にいないからこそ充分すぎる言葉をもちたいと。

写真を撮るということと、それを現像することはきっとセットなはずなのに、ファインダーを覗いてカシャっとシャッターを切るとそれだけで満足してしまうことが往々にしてある。どちらもとても好きなのだけれども、カメラを構えるのは被写体を前にすれば簡単にできてしまうのに、現像は「また明日……」を繰り返してカレンダーを何枚も捲ってしまいがち。 だから、InstagramというSNSは現像した写真しかあげたくないわたしにとって火付け役を担ってくれている。いまやっと、初夏の旅の記録を現像しては

こんにちは「翌日にひびく胃もたれ」さん。

兵庫の山奥で大学院生をしていた頃、わたしたちは週末になるとソワソワしながら高速バスに乗って梅田の街をフラフラしていた。普段は、近くのイオンで買った食材で慎ましく自炊生活をしていたので、梅田に出る日は外食も楽しみで。 確かあれは、キーンと冷える冬の日のこと。これはもう「お鍋を食べよう!」となって入ったのが赤から鍋のお店。わたしが大学時代を過ごした仙台では、在学中にオープンして。定期的に「女子会」と称してはみんなで通っていたのを思い出して、ここに行こうよと。つまり、お財布事情的

甲子園の余韻とわたしの故郷

今夏の甲子園は終わったというのに、わたしのXもといTwitter(以下、Twitter)のタイムラインは、相変わらず甲子園の話題ばかりが流れてくる。これも、甲子園期間中、特に推しの仙台育英戦のたびに投稿したり、関連するポストをお気に入りしまくったりしたからだろう。AIって本当に優秀。 おかげでわたしは、24日の仙台駅は昨夏仙台育英高校が悲願の優勝した時以上にたくさんの人で賑わったことや、須江監督が地元の応援を誇ってくれていることや、県内各地で「仙台育英高校準優勝おめでとうセ

仙台育英高校を応援した夏を経て、じゃあわたしは、どう生きたいのかってことを。

ずっと待ち焦がれていた『君たちはどう生きるか』を鑑賞して、毎年恒例の8月1週間のひとり旅に出て、夏の高校野球を初日から最終日まで存分に楽しんで、やっとわたしの夏が終わろうとしている。 今年のひとり旅は遠くへは行かずに、大学時代を過ごしたおじいちゃんのお家で。そんなタイミングで、地元仙台育英高校が甲子園初日から活躍を続けて、本日決勝戦に進出。あいにくもうトーキョーに戻ってきてしまったので、決勝戦はこちらで観戦したのだけれども、とにかくとっても楽しい夏だった。 高校生の野球の

盛大なひとりごとも、300日目を迎えまして。

ここ最近は「夏休み」という名のもと、毎日大好きな人たちに甘やかされてのびのびと生きています。note以外でもちょっと大きな文章を書いたり大好きな人たちの写真をレタッチしたり、夜更かししたり早起きしたりしていたらつぶやき投稿ばかりですが、わたしは元気です。 今日も朝6時から活動していたし、明朝は推しの仙台育英高校の甲子園準決勝が朝一から行われるので、こんばんもつぶやき投稿に甘えようかな……と思ったけれども。やっぱり節目の300日なのでとりあえず文章を打とうと久しぶりにキーボー

8月15日が永遠に「アレはむかしのことよ」であり続けますようにと。

8月15日、終戦の日。 わたしたちの生まれる、何十年も前。世界のどこかの国で起こっているようなあの、センソウと呼ばれるそれが、この日本でも起こっていたらしい。幼い頃から、夏になるとテレビではジブリアニメ『火垂るの墓』が放映され、ひいおばあちゃんと一緒にお寺に行くと和尚さんが戦争の話をして皆が神妙にきいていた。それでもわたしにとってのそれは、『かぐやひめ』や『たなばた物語」と同じような昔話のひとつのようで。 多分あれは、小学校中学年くらいのことだと思う。おじいちゃんの家に泊

おかえり〜甲子園の土を集められるという世界線〜

日本の風物詩、甲子園が開幕した。幼い頃は、見たいテレビ番組を妨害するお兄さんたちの姿に恨めしさしかなかったというのに。自分が同年代になるとあの青春の闘いが眩しく見えるようになって10数年。今ではすっかり、推しの選手がいるくらいに夏も春もはまり込んでいる。 ちなみに、わたしの推しは仙台育英高校の齋藤陽くん。彼の良いところはまず、どんな打席にも笑顔で立つところ。調子の良いときはもちろん、チームのピンチのときだっていつも笑顔。もう「野球が好き!」というのが身体全体から伝わってくる

なんにもしないでただ側にいるには、強い心が必要で。

最高気温が連日35℃越えの日々。連日ニュースで「災害級の猛暑日です」と叫ばれる最中、お茶時の準備のため朝イチのデパートへ。 立派な賀茂茄子に、学生時代の恩師のご実家が作っている白味噌に、Instagramで見て前から気になっていたお茶菓子。両手いっぱいに紙袋を持って歩いていると「今日はたくさんお手伝いしてもらったからねぇ」と、ずっとずっと行きたかった茶寮に連れて行ってもらって。 宇治金時も気になるけれども、ここはあんみつが美味しいと聞いていたから。クリームあんみつをひとつ

そもそも見えないことには #音の世界と音のない世界の狭間で 生きにくいので。

ストレスとか疲労とかそういうのが溜まると、弱いところに出やすい。ちなみにわたしは、眼科系と婦人科系と呼吸器系。ものもらいができたり、生理不順になったり、喘息になったりする。学生時代は、季節の変わり目のたびに声が出なくなっていた。 ストレスでお耳が……みたいなのもよく目にするけれども、わたしの右耳は生まれつき全く聴こえないので、これ以上悪くなることがない。こんなにも全く聴こえない状態は耳鼻科の先生でもなかなか見ないらしい。 左耳は、物心ついた頃から年々徐々に聴力低下していて