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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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#ふるさとを語ろう

8月15日が永遠に「アレはむかしのことよ」であり続けますようにと。

8月15日、終戦の日。 わたしたちの生まれる、何十年も前。世界のどこかの国で起こっているようなあの、センソウと呼ばれるそれが、この日本でも起こっていたらしい。幼い頃から、夏になるとテレビではジブリアニメ『火垂るの墓』が放映され、ひいおばあちゃんと一緒にお寺に行くと和尚さんが戦争の話をして皆が神妙にきいていた。それでもわたしにとってのそれは、『かぐやひめ』や『たなばた物語」と同じような昔話のひとつのようで。 多分あれは、小学校中学年くらいのことだと思う。おじいちゃんの家に泊

メロンと写真と秘密の女子会。

ひいおばあちゃんには兄弟が5人いて、そのうち北海道に住むおじさんが夏には夕張メロンを冬には毛蟹を送ってきてくれていた。それらの小包は、ひいおばあちゃんかおばあちゃんが受け取ってこっそり冷蔵庫の奥に。 そして、その日がやってくるとわたしたちは簡単な夜ご飯を済ませておじいちゃんが寝ると、またダイニングに集って3人だけの女子会をしていた。夏にはメロン一玉を、冬には毛蟹一杯を、3人でぺろっと。 はじまりは、大学一年生の夏。 初めて実家を出て、おばあちゃんのお家に住むようになって

呼び捨て

わたしは、転勤族育ち。といってもひとつの土地にわりと長く住むタイプだったので、小学校を仙台で、中高を小倉で、大学を仙台で、大学院を兵庫で、そして今関東にいる。 過ごした年齢も関係するんだろうけれども、仙台は下の【名前呼び捨て】、小倉は名前からとって【まり】、そして大学院から現在まではだいたい【下の名前+ちゃん】と呼ばれることが多かった。だから、SNSに書くときも誰かから話しかけられている場面を描くときはとりあえず、ここ最近一番呼ばれ慣れているもののように【さんまりちゃん】と

2023.0311

ふと時計を見たら、14:46だった。 あの日わたしは東北どころか東日本にもいなくて、この世界がぐわんと揺れたこともまるでほとんど知らないまま、その午後を九州は福岡で過ごした。 学校帰りに塾に着くと、講師の先生たちが駆け寄ってきて 「東北が、地震で大変みたいよ。お家に連絡したら?」 と、わたしより早く授業に来ていた妹が受付に預けてくれていた携帯電話を渡してくれた。 宮城はよく揺れる 小さい頃から、震度5-6強程度の地震には何度か遭遇してきた。自宅のエレベーターが止ま

551のぶたまん。

学生時代、研究のためにフィールドワークに出かけると帰りの高速バスに乗れるのがちょうど夕方で。夜ご飯には少し早いし、貧乏学生だったのでそんなに高いものは食べられない。それでも、最寄りでバスを降りる頃には外は真っ暗。 というときに、駅でお守りのように買っていたのが551のぶたまん。お肉がたっぷり詰まっていて、一箱に二つも入っている。それでいて500円もしないでお買い上げできちゃう。最高じゃない? ひとつは、バスの中でその日のフィールドの記録を書きながらむしゃむしゃと、もうひと

暮らすこと、時が過ぎることの愛しさと恋しさと

今の家を借りるきっかけになった条件のひとつが、エントランスに宅配ボックスがあること。 聴覚障害のあるわたしにとって、インターホン越しの会話はなかなかにストレスフルなので、とても便利。もう、ほぼ全ての荷物をこの箱から取り出している。 そんなわたしの初めての一人暮らしは、大学院に進学するタイミングで、学内の寮だった。キッチンもトイレとお風呂も共用。だから、一人暮らしと言っても、ベッドとローテーブルを置いたらもう充分の小さなお部屋。 入寮すると決まったとき、それはそれはもう、

大好きな人たちがいなかったかもしれない未来。

8月9日 77年前のこの日、長崎に原爆が落とされた。 真っ白な日本地図を手渡されても、そこが熊本なのか宮崎なのか長崎なのか。それくらい、どこか遠いところの、そのまた昔に起こった、遠い遠い出来事だったこの日に想いを馳せるようになったのは、中学生になってから。 東北は仙台のそのまた温室のようなぬくぬくとした環境で蝶よ花よと育ったわたしは、父の仕事の都合で、修羅の国北九州は小倉の喧嘩上等公立中学校へと進学した。トイレ掃除に行けば便器がタバコで詰まっている、放課後の教室から異臭

ガブリエルに憧れた日々。憧れが崩れ去った日々。-アドベント2週目-

まだお昼過ぎだというのに空はすぐにでも夜を連れてくる準備を始めていて、街中のイルミネーションを眺めてもう一度空に視線を戻すともうすっかり夜になっている。思わず息を吐くとそれはもう白くて、これは本当に冬がやってきてしまったのだなと思わずぶるっと身震いする。 わたしの通っていたミッション系幼稚園では、この時期、毎年恒例の行事に向けて粛々と準備が始まる。それが、アドベント1週目のお話でも触れたクリスマスの降誕劇。 わたしの出身幼稚園では、 年少さん:その他大勢のお星様役。 年

お気に入りのあの場所で「ふふふ」と笑うわたしたちは、神様の、周りの大人たちからの愛情に、やさしく包み込まれていた。-アドベント1週目-

クリスマスを家族で、教会というファミリーと共に過ごした経験のある人は、この日本にどれだけいるのだろうか。 我が家はクリスチャンホーム(家族にキリスト教徒がいて物心つく前から教会に通っている人たち)どころか、三親等内にクリスチャンは一人もいないのだけれども、なぜか三姉妹全員がミッション系の幼稚園を出ている。それは母の「感謝できる人になってほしい。でも、感謝とは目に見えないものだから教えるのは難しい。そうだ!ミッション系の幼稚園に通えば、神様ありがとうと祈ることで多少理解するこ