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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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#旅と写真と文章と

今年も記念日を迎えたので。

7月7日は七夕。だけど、故郷仙台は旧暦の8月に七夕まつりをするので、やっぱりまだまだお祝い気分になれないけれども。それでも今日は、お祝いの日。 でーん。 noteをはじめて4周年。 生まれて初めての海外までひとり旅に中米はパナマを選んだときに、片っ端から旅記事を読み漁った憧れの伊佐知美さんと北鎌倉のaddressで出会って。そのまま、まるでそうなることが決まっていたかのように乗船した #旅と写真と文章と のみんなに「note、書こうよ」と背中を押してもらって登録して。えい

Instagram400投稿目のあたまのなか。

TwitterにInstagramにnoteにSlackに、それからそれから…… とにかく、SNSが多すぎる。 文章と、たまに写真がポンとあげられればよかっただけのSNSも、今はその媒体ごとにアプリがあって。 遡ること、一番初めに飛びついたSNSはYahoo!ブログ。それから、短いセンテンスはモバゲーに、コミュニティはmixiに、文章はデコログやらアメブロやらはてブロに。気付いたら写真は、FacebookやInstagramに、そして今は動画のためにTikTokやら……

みんながいつも「ここ」にいてくれるということ。 #旅と写真と文章と

年齢を重ねるごとに、わたしの周りは好きな人だらけになっている。 学生時代、特に公立の中学校に通った3年間は8クラスもあるヤンキー排出マンモス校に通っていたこともあって、とにかくいろんな人がいた。お家が白い壁に囲まれていかついお兄さんが出入りしている子もいたし、お腹を空かせてご近所中の家を尋ねてはお菓子をせがむ子もいたし、高層マンションから日傘をさして登校してくるお嬢様もいた。 とにかくなんでもありの中学校だったけれど、いろんな背景をもつ友達ができたあの頃は、今のところ人生

あるいは、「祈るしかない」という希望について。

なす術がない そう悟った日から毎日、彼女は祈り続けていた。あの日々を、わたしは一生忘れないと思う。 *** 幼少期に過ごした東北の地が、休日の習い事の送迎も父親参観もいつもわたしたちを包み込んでくれた祖父母が大好きだったわたしは、わりとあっさりとその地の国立大学に進学した。もちろん、大好きな祖父母の家に下宿しながら。 祖母は、今でいうフリーランスの旅好きだった。ノートパソコンを持って新幹線や飛行機に乗り、日帰りで東京に出たり泊まり込みでヨーロッパに行ったりするような。

記念日がたくさんあるカップルは、続きやすいらしい。

はじめてこのnoteというプラットフォームに自分のことばを書いた日を、割とよく覚えている。 確かあれは、ちょうど2年前の七夕の日。 「文を書くことと読むことが好き」と言いつつも、Twitterの140字には収まらないし、Facebookにはあまりにも知り合いが多すぎる。しかも、学生時代の恩師なんかもいて、ちょっぴり小っ恥ずかしい。 そんなことを考えていたときに、当時入って1週間足らずだったオンラインコミュニティ #旅と写真と文章と のメンバーから「やさしい世界があるよ」

秋が冬に変わっていくこのトキを、Naot CLAUDIAと共に。

また、秋によろしくね。 5ヶ月前、そう声を掛けてそっとシューズクローゼットにしまったショートブーツ。我が家にお迎えしたのは、確か去年の、秋も深まったある日のこと。 ロングブーツには早いけれど、日常遣いできるショートブーツが欲しくて、やっとのことで巡り会うことのできたNaot のCLAUDIA。 秋が冬になって、冬が春になる。 パーカーにロングスカート、マフラーが大好きなわたしの大好きなその季節の移り変わりを、一緒に過ごしたショートブーツ。 流石に夏の間は履けなくて、靴

わたしとキミとTシャツと。

「ピンポーン」 週の初めからくしゃみを連発し、仕事の繁忙期に入って、今日の夜ご飯はおやつに買ったベーコンエピだっ!なんてやけくそになって、ちょっと泣きそうになっていた夜に、我が家のチャイムが鳴った。 玄関のドアを開けると、見覚えのあるボーダーの半袖Tシャツを着たマイトレーナーが立っていた。 「外、めっちゃ寒いね」 いやいやいや。なんで半袖のTシャツなんか着ているのよ。 心の中でそう突っ込みつつ、あの冬の暑い日の記憶が蘇った。 初めての海外まで一人旅の行き先に選んだ

我が家のトクベツな「あたりまえ」

幼いころのわたしは「パーティ」と名の付くものが好きで好きでしょうがなかった。 「誕生日パーティ」「クリスマスパーティ」「おひなまつりパーティー」……。 とにかく何かとかこつけて「パーティ」をしたがったわたし(と妹たち)は、「パーティノート」なんてノートを作って、企画を練り、司会台本を書き、招待状まで作成していた。 冬になると、クリスマスにお正月、父もわたしもすぐ下の妹も冬生まれだから誕生日……と「パーティ」が続く。 そのスタートを切るのが、10月15日にある母の誕生日だっ

なんでもない日常の、でも、わたしにとって特別な香り。

香りは目には見えないけれど、充分すぎるほどに記憶を呼び戻す。 お盆休み以降、ずっと取り組んできた仕事がやっとひと段落した帰り道。家のすぐそばの橋を渡り終えた瞬間、ふわっと金木犀の香りが漂ってきた。 *** 小学生の頃、なぜか早く登校することがまだ一種のステータスのようになっていて、開錠前の昇降口で友達とおしゃべりしていたときのこと。 学生時代、きっとお互い好きなんだけれどもまだ付き合っていなかった彼と、語り合った公園での夜。 社会人1年目、繁忙期のちょっと余裕のない

めぐりゆく季節を知らせる風に「待って」なんて言葉は届かなくて。

朝、目が覚めて熱いお湯を浴びたくなる。 ふと手を伸ばした先には、七分袖のブラウス。それも、ブラウンの。 玄関に鎮座しているビーチサンダルを靴箱に戻し、かわりにちょっとヒールのあるえんじ色のローファーを出す。 あんなにも待ち遠しかったはずの夏は一瞬にして過ぎ去って、秋がすぐ近くまでやってきている。 *** なんだか、不思議な夏だった。 浴衣を着て花火大会に行ったり 屋台ではしまきを食べたり 山の中で眠るおばあちゃんのお墓参りに行ったり はたまた飛行機で旅をしたり……。

とある団地の片隅で。

あんこが好き。それも、なめらかなこしあんが。 普段は職場の食堂でランチを食べるわたしも、ここ最近は職場の近くにお気に入りのパン屋さんを見つけて、足繁く通っている。といってもわたしの出勤日は週に1回だけだから、たまの贅沢。 在宅での仕事が日常になった今日この頃、外で食べる気もしないしどうせ家にいるならと、自炊が習慣化してきた。という状態は、職場の誰もが感じていて。週に1回くらいは、「外にご飯を買いに行く」という贅沢をしてもいいよね、と自然とみんなで通うようになって早1ヶ月。

ラブレターなんてもらっちゃったら、たぶん、一瞬で恋に落ちると思う。

LINEよりもメールが、メールよりも手紙が好きだ。 はじめて自分宛ての手紙をもらったのは、いつのことだろう。 記憶の中で一番古いお手紙は、幼稚園の年長さんのとき。 ある日郵便受けから手紙をがさごそと取り出した母が、わたしの顔を見てこう言った。 「あら。sanmariにお手紙が届いているわよ」 母が丁寧にペーパーナイフでその白い封筒を開けると、中には赤いランドセルを背負った女の子のポストカードが入っていた。 「しょうがっこう にゅうがく おめでとう」 そうひらがなで

なんでもない日常のなんでもない報告をぽろりと。 #旅と写真と文章と 日直はじめました!

こんばんは。 4月18日土曜日、日直のsanmariです。 思えばあの日わたしは。 『居場所』と漢字三文字で表すにはなんだかあっけない、でもそんな、集まる理由が欲しかったんだと思う。 きっと。 *** フリーランス、リモートワーク、旅をしながら仕事をする。 そんな周りを横目に、どこか他人事でいる自分がいた。 わたしの職種が、在宅勤務になることはあり得ないだろう。 つい2ヶ月ほど前は、そう信じて疑っていなかったはずなのに。 3月には実質休業に。 月末にはパソコンの持ち

オンライン写真展が、はじまったよ。 #旅と写真と文章と

まいにちnoteを書いていたときに「まいにちnoteの良さって何だと思う?」と問われたことがある。 当時はまいにち更新することが日課で、特に良いものとか大変なものとかいうふうに捉えていなかったから、この質問にはすごく悩んだ。そのとき、質問をしてくれた人の言葉を借りながらひねり出した答えが 「ネガティブなことばっかりだったような気がする日」の中にも本当はそうじゃないかもしれないんだけどっていう「余地」があることに気付けること。 実は今日、noteに書きながら頭の中を整理し