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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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#sanmariのひとりごと

冬、どんとこい。

季節限定の雪見だいふくは全フレーバーを食べたいと思っているし、W杯期間中はサッカーの試合を中心に生活をまわす。とにかくミーハーの極みなので、この冬一番恐れているのはインフルエンザ。 高校くらいまでは毎年クラスの先頭を切ってインフルエンザに罹っていたし、未だに季節の変わり目には声が出なくなったり高熱を出したりする。流行りものに敏感だ。 だけれども、体調を崩すのは本当にしんどいので防げるものは防ぎたいと、今年もインフルエンザのワクチンを打ってきました。あれって「打ちたいです」

おいしいものは、みんなと分け合いたい。

美味しいと思ったものは、好きな人みんなに食べてほしいと本気でそう思っている。 もう、三つ星レストランから近所のお餅屋さんのお団子まで気に入ったものは全て好きな人に食べさせたいと思って生きている。なので、今日のわたしは近所のドーナツ屋さんから出てくるときには3つの箱を抱えていた。 そして、会う人みんなに「これ、とてもとてもおいしいの!」とニコニコしながら配り歩いている。飴ちゃんくれるおばちゃんたちも、こんな気持ちなのかしら。 あんまりにもわたしが「これは美味しい!」と自信

方向音痴のファインダーのさきには。

と言われたことが、何度もある。正直に言おう。もう、片手で数えきれないほどある。もはや、電車に乗り間違えるとかっていうレベルではなくて乗り換えのために降りる駅を間違えまくる。 友達と「JR市ヶ谷駅の改札で待ち合わせよう」と約束していたのに目の前には武道館が見えていたり、「大和西大寺駅で待ち合わせね」と約束していたのにJR奈良駅にいたりする。後者に関しては、もうどこで間違えたのか自分でも分からない。 そして今日も、家から電車で20分もすれば着くはずの千代田線の駅に行くはずが、

「もう一度」と思えるくらいの思い出たち。

夜ご飯を食べ終えて、ほっと一息。さぁて、あとは食後のホットコーヒーが欲しくなる 何百年も前から、日本人は茶の湯を楽しむために懐石料理を準備して、丁寧に一杯のお茶を淹れてきた。食事を終えたら、温かい飲み物を飲みたくなる。それはもう、遺伝子レベルで本能的に欲しているひとつの慣習なんじゃないかと、年を重ね、経験を重ねるごとに、そう思う。だから、 「あぁ、そういえばかわいいコーヒーがあるのよ。」 とムーミンのパッケージのかわいらしいドリップセットが出てきた瞬間に と心が躍った

それでもわたしは、地図を見ない酒飲みで。

わたしと親しい人たちはもう充分承知のことかもしれないが、わたしはすこぶる方向音痴だ。まず、GoogleマップをiPhoneごとぐるぐる回したうえに、反対方向に歩く。分岐はいつも二分の一の確率で当たるはずなのに、ほぼ全ての分岐で逆を選ぶ。 それなのに。数年前に恋の病にほだされたわたしは、禁断のひと言を教えられた。 ちなみにこの人とは、渋谷で坂という坂を歩き回ったし、東梅田で同じホテルの前を3回くらい通ったし、目的地に辿り着く頃には迷いすぎて京都ではどこも閉館時間を過ぎていた

暮らすこと、時が過ぎることの愛しさと恋しさと

今の家を借りるきっかけになった条件のひとつが、エントランスに宅配ボックスがあること。 聴覚障害のあるわたしにとって、インターホン越しの会話はなかなかにストレスフルなので、とても便利。もう、ほぼ全ての荷物をこの箱から取り出している。 そんなわたしの初めての一人暮らしは、大学院に進学するタイミングで、学内の寮だった。キッチンもトイレとお風呂も共用。だから、一人暮らしと言っても、ベッドとローテーブルを置いたらもう充分の小さなお部屋。 入寮すると決まったとき、それはそれはもう、

まつ毛がクルンとしているだけで。

今日のわたしは、ご機嫌だ。 なぜなら、まつ毛パーマに行ってきたから。 髪の毛を切ったとか染めたとかならまだしも、まつ毛にパーマを当てても誰にも気づいてもらえない。それでも、まつ毛がクルンとしているだけで、駅からの帰り道に浮き足でスキップをしたくなる。 まぁ、この人生でわたしの顔を一番よく見るのはわたしなわけで。だったら、そのわたしの気分があがってくれるなら、それだけで万々歳だ。 そういえば、まつ毛パーマをしてもらっているときに、最初から最後まで意識を保っていられたことが

どう足掻いても限りがあることを、わたしたちはちゃんと知っているのだから。

帰宅して郵便ポストを覗くと、大きな封筒が入っていた。送り主は、おじいちゃん。 幼小と9年間毎週習い事の送迎をしてくれて、大学の4年間は一緒に過ごして。今思えば、自転車の練習も始めての親元を離れての暮らしも、わたしたちはいつも一緒だったし、喧嘩もした。 例えば、大学に入って、聴力が低下して、聞こえる人と一緒にいるのが嫌になって反抗したときも彼はずっとそばにいてくれた。そして、大切な人を亡くした日々も一緒にお酒を飲んで泣いた。そして、「炊飯器の蓋をどのタイミングで開けるか」み

さよなら、今日の日。明日の朝、また会おう。

一日のうちで一番好きな時間はいつかと聞かれたら、夕暮れどきと答えるようにしている。 陽が差し込んでくる朝の時間帯も清々しくて好きだけれど、朝寝坊とか二度寝とか朝を寝過ごすイベントも大好きだから、自信をもって好きだとは言えない。だけど、夕暮れどきは気持ちさえ向いていればその時間を毎日楽しめるような気がしている。 一日のうちでどんな時間が好きかだなんて、子どもの頃はそんなに意識することなく毎日を過ごしていたと思う。夕暮れどきが好きになったのは、カメラを手にしてからのこと。

餃子の王将とていねいな暮らしと

メッセージの送り主は、お茶の先生。 朝起きて、さて今は何時だろうとiPhoneのホーム画面を開いたのが先か、メッセージが届いたのが先か。 今日はお休みだから……といつも家を出るギリギリまでベッドで微睡んでから慌ててグラノーラをかき込んでシャワーを浴びてお稽古に向かうわたしのお休みの日ルーティンは、もう3年も毎週会っている先生にはバレバレで。 と、お茶のお稽古の日は、いつも、先生がお昼ご飯を用意して待っていてくれている。 お稽古をしてもらうのに、ご飯まで御世話してもらっ

だからわたしは、今日も本を読む。

わたしの通っていた小学校には図書室が2つあって、手前に絵本が足元にたくさん並ぶ低学年図書室、奥に児童書や辞典が高く積まれた高学年図書室があった。 カーペットが敷かれたその部屋で、次に読みたい本を手に取っては座り込んでパラパラとめくるのが大好きな小学生だった。 あれは確か、小1の冬くらいのこと。 ひらがなもカタカナも読めるようになった。漢字だってちょっぴり読めるぞ。なんだか自信がムクムクと湧いてきたわたしは、文字がいっぱいある本が読んでみたくなった。 それでも、お兄さん

大好きな人たちがいなかったかもしれない未来。

8月9日 77年前のこの日、長崎に原爆が落とされた。 真っ白な日本地図を手渡されても、そこが熊本なのか宮崎なのか長崎なのか。それくらい、どこか遠いところの、そのまた昔に起こった、遠い遠い出来事だったこの日に想いを馳せるようになったのは、中学生になってから。 東北は仙台のそのまた温室のようなぬくぬくとした環境で蝶よ花よと育ったわたしは、父の仕事の都合で、修羅の国北九州は小倉の喧嘩上等公立中学校へと進学した。トイレ掃除に行けば便器がタバコで詰まっている、放課後の教室から異臭

【1st position】経験10年、ブランク15年のバレエの思い出。

数年前から、運動不足についての自覚はあった。 がしかし、いざ運動をしてみようにも、家の周りを走っては軽い肉離れを起こし、筋トレをやろうにもその基礎がなっていないからトレーニングできている感じはしないし、そもそも好き好んで運動なんかしたくない。一日中ベッドの上でダラダラと過ごしていたい。という始末でてんで進まず、電車やバスに乗れば動きに耐えられずに体がフラフラするし、座れば猫背、体力はなくてすぐに疲れる。 流石に日常生活を送っていく中で困ることがちょっとずつ増えてきたことに

桜の樹の下には、屍体が埋まっている。

金曜日の休憩時間。この時間帯は、一週間で最も幸福度の高い時間……のはずなのに、わたしの心はどこか晴れなかった。 どれもこれも、流行病のせいなのか。それとも、この時期は毎年こんな気持ちなんだったっけ。とにもかくにも、目の前のTO DOリストには、まだチェックのついていない項目が幾つもあった。 「はぁ……。金曜日なのに全然達成感がない」 そう呟くと、隣の席の上司がクスッと笑いながら 「ねぇ。なんて不思議なんだろうね。今そう思っているのはあなただけじゃないわよ。」 と言いながら