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sanmariのひとりごと

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なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
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2020年3月の記事一覧

言語は世界を広げていく。

Twitterのタイムラインに、ニュースの字幕に横文字が並び続ける。 たとえば「クラスター=感染集団」、「オーバーシュート=爆発的感染者増加」。 横文字から日本語になおすことで、なんとなく意味が分かってくる。それでもやっぱり視覚情報として流れてくる来れれの横文字がすっと入ってくることはなくて。日本人なんだから日本語で話してくれればいいのになぁ、なんて思っていたここ最近。 昨日、SNSを眺めているとこんな動画が流れてきた。 横文字から日本語になおしてもなかなかすっと入って

可能性を閉じる、という選択。

たとえばわたしが日々の生活の中で、根も葉もない誰かの噂に翻弄されて、傷ついて、くじけそうになったとして。 そんなの、気にしなきゃいいじゃない。 と、ひとことで一蹴できないときは、心が疲れている証拠。 「何を選ぶのか」の陰にはいつも「何を選ばないか」の意志が潜んでいる なんて言葉を憧れのお姉さまがたが口を揃えて言うその姿を、わたしはただ何となく見つめているだけだった。 「sanmariの頭の中は、お花畑だよね」なんて言われることが、時たまある。 わたしは周りの人たち

オンライン写真展が、はじまったよ。 #旅と写真と文章と

まいにちnoteを書いていたときに「まいにちnoteの良さって何だと思う?」と問われたことがある。 当時はまいにち更新することが日課で、特に良いものとか大変なものとかいうふうに捉えていなかったから、この質問にはすごく悩んだ。そのとき、質問をしてくれた人の言葉を借りながらひねり出した答えが 「ネガティブなことばっかりだったような気がする日」の中にも本当はそうじゃないかもしれないんだけどっていう「余地」があることに気付けること。 実は今日、noteに書きながら頭の中を整理し

あの夜の無力感を、わたしは生涯忘れることができないと思う。

2011年3月14日月曜日 朝のホームルームで担任が出した新聞の一面を見たわたしは、ポロポロと涙をこぼした。わたしの生まれ育った、見知った街並みが津波で流されていくその様子を写した、大きな写真だった。 *** あの日、あの時間。 わたしは、何をしていただろうか。 当時父の転勤で福岡に住んでいたわたしは、いつも通り学校を終え、塾へ行った。 「sanmariちゃん、宮城出身よね。なんか、すっごく大きな地震があったみたいよ。おうちに連絡してみな」 塾へつくやいなや、先生