マガジンのカバー画像

sanmariのひとりごと

277
なんでもない日常の、でも、だれかにとって、ちょっと、特別なことたち。
運営しているクリエイター

2019年8月の記事一覧

手話が出ちゃうのは、きこえてない合図なんだって。

あ、手が出ちゃった。 きこえる友達と一緒にいるのに、ふとした瞬間に手話が出てしまう。たぶん、そんなときは、自分の声がきこえてないとき。 きこえる人は無意識にお喋りをしながら自分の声をきいてフィードバックしている。 でも、わたしはいくら補聴器を付けていても、自分の声を全てフィードバックできない。たとえば、人混み・地下鉄の中・バックミュージックが大きなお店……。 自分の声がきこえなくなると、どうやら手が出るらしい。手話で自分の発信をフィードバックすると、落ち着くのだ。 わたし

麺の距離感。

sanmariさんって、デートでラーメンとかいける人ですか? お昼休み、コンビニへランチを求めに歩いていると、隣の部署の同僚に声をかけられた。 えぇ。行きますよ。ラーメン、普通にすきです。 そう答えると、ものすごく意外そうな顔をされた。そして、その流れでその場にいた数人でラーメンを食べに行くことになった。 ラーメン、食べない人と思われてたのか。 確かに普段はお弁当派ですし。(といっても、夜ご飯の残り物と冷食を詰めただけ) でも、ちょっと、いや、ものすごく衝撃的。

思ったことを口に出すって、案外むずかしい。

映画鑑賞が好きだ。そして、その映画鑑賞代は絶対に自分で払いたい。それが、わたしのポリシー。 デートとかで映画を観に行くと「いいよ。出すよ。」なんて言ってもらうこともあるけれど、映画代だけは自分で出したい。 理由はただひとつ。面白くなかったときに「面白くなかったね」っていう感想が言えなくなっちゃうから。 「お金を払ってもらったもの」に対して文句を言うなんて筋違いだ。でも、自分が払う映画鑑賞代の中にはその映画に関する感想を自由に言えるだけの権利が含まれていると思う。学生時代に仲の

賢いこと。生きる力があること。

わたしの地元は、明日が夏休み明け。8月31日の夜ではないけれど、 #8月31日の夜に としてnoteを書いてみました。 ただ、なんとなく学校に行きたくない。 年に数度そんな日が訪れた。 中学生の頃だったと思う。 ただなんとなく学校に行きたくないと思ったその日の朝、母に 「着替えたくない。今日は、学校行きたくない。」 とぽろっと呟いた。すると母は 「そっか。じゃあ、学校に電話するね。」 と。そして、「調子が悪いようで」と本当に電話をしてしまった。 妹たちが学校に行った

お月さまのかくれんぼ

お月さまが追いかけてくるね。 幼少期、移動といえば母の運転する車だった頃に、こう呟いた記憶がある。あまりにも嬉しかったのだ。でも、嬉しさが膨らめば膨らむほど、心配事が増えていく。 赤信号になって車が止まってしまったら、お月さまが先に行ってしまうのではないだろうか。曲がり角を曲がったらお月さまとお別れしてしまう。 だから、止まらずに、まっすぐまっすぐ進んで欲しい。 そう駄々をこねては母を困らせた。 あれから15年近く。 昨夜、タクシーの車窓からわたしを追いかけてくるお月さま

きっと、二人も天国から平和を願っていることだろう。

終戦の日。わが家は取り憑かれたかのように終戦特集の番組を食い入るように見つめる。これも、間違いなく曾祖母と祖母の影響。 祖母の父、つまりわたしの曾祖父は第二次世界大戦で戦死した。日中戦争で生還したというのに、曾祖母と結婚して約半年で出征した。だから、わたしはもちろん、母も祖母も曾祖父に直接会ったことがない。曾祖母と祖母は自分の夫、そして父の面影を求めて毎年終戦特集の番組を食い入るように見ていた。 今年の日本武道館。出席者における85歳以上の配偶者は、一桁だったとの

祖母とお盆とひまわり畑。

「あら。ここに寄るついでにわたしのところに来ればいいじゃない。」 彼女は、照れ隠しをしながらこんなことを言うだろう。 インドから帰国して、その足で地元に帰ってきた。お盆だもの。御墓参りに行かないと。おばあちゃんが、待っている。 そう思うだけで浮き足立って帰省しちゃう。どうやらわたしは、日本文化にどっぷり浸かっているようだ。 わたしのおばあちゃんは、水環境関係のNPOで働いていたこともあり、自然が好きな人だった。 ダムで泳いだり、ボートを組み立て漕いだり、冬の白神山地を歩

わたしの帰って来る場所。

わたしの部屋 わたしの席 わたしのお茶碗 わたしの。。。 12日にインドから帰国、お盆は実家で過ごして16日に中国へ出国。どちらも成田発着だというのに、わたしが今このnoteを書いているのは地元仙台。だって、お盆なんだもん。 小学生の頃、週末と長期休みのほとんどを過ごした祖父母の家から4年間大学に通った。父が転勤族なこともあり、大学に入るとついに「住んだことのない実家」ができたわたしにとってこの家は正真正銘の「実家」だ。 わたしの部屋があり、わたしの席があり、わたしのお茶

今がちょうどそのとき。

中学生か高校生の頃( どっちだか忘れたけど、とりあえず小倉に住んでいたはず )当時話題だった村上春樹の「ノルウェイの森」を読もうとした。 でも、結局、読めなかった。 文章がどうもしっくり頭に入ってこなくて。本を読むときにはだいたい頭の中で情景が映像化していくんだけれど、この時の「ノルウェイの森」は活字のままわたしの頭の中で流れていった。同じ経験を中学生の時にマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」で経験したし大学院生の時には森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」でも経験した。

ほんとにわかっているのは、わからないということだけかもしれない。

先日、深夜特急や旅のつばくろで有名な沢木耕太郎さんのインタビュー記事を見つけた。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59489 勧められて「深夜特急」を読み始めたらまんまとはまってしまい、全巻集めて「旅の窓」と「246」にも手を出した沢木耕太郎さん。   ・日本人なんだから日本語さえできればいい(わたしはその日本語も怪しいけど) ・異文化なんて国内でも感じられる と海外をなんとなく避けていたわたしに「ほんとにわかっているのは

長旅への願掛け。

家は自分だけの聖地。 中学で吹奏楽部に入ってからというものの、家は寝るための場所だった。なのに、一人暮らしを始めてからは、すっかり引きこもり癖がついた。自分の好きなものを集めて、好きなように過ごせる時間・空間がとてもとても愛おしい。仕事が終わったら一目散に家へ帰ってきて、ソファーにうずくまってボーッとする。おうち最高。聖地、万歳。 そんなわたし、ついに明日からインド→帰省→中国の長旅に出るのです。 明日家を空けたら、次に帰ってくるのは2週間後。きっと、ものすごい疲労感の

好きなことをしていると、好きなことを思い出せると思うのです。

アフター5。 憧れでしかなかったんだけど、最近ちょくちょく時間を取れるようになってきたので、横浜に行ってきた。 17時といえども、まだまだ暑い。 横浜着いて早々、桜木町のスタバで休む。コーヒーフラッペ、おいしい。チョコチップ、入れ忘れた。フラッペ×チョコチップ大好き。 ランドマークタワーを抜けて 赤レンガ倉庫。 およおよ。 暗くなってきたよ。 みなとみらいの観覧車。 大学院時代の友人とまわったこともあり、横浜の港町が神戸のハーバーランドにしか見えなくて、ハーバーっ

音のない世界と音の世界の狭間。もやもや。

音としては入ってくるけれど、言葉としてはききとれない。もやもやっとしている。 感音性難聴のわたしは、こんな世界で暮らしている。静かな場所、口の形が読み取れる、声質がわたしの耳と相性がいい、とかの条件が重なって言葉としてききとりやすくなる。 ずっと普通の学校に通ってきて、手話を覚えたのは大学に入ってから。それまでは、今よりも良聴耳の聴力が良かったし手話を必要としていなかった。当然今でも手話を使えない友達がたくさんいるし、そこもわたしにとって大切なコミュニティだと思っている。

両想い切符92ぱーせんと。

両想い切符。 発券番号の4桁目と1桁目が同じ数字のとき、真ん中の数字の数が大きければ大きいほど両思いの確率が高いと言われるあの切符。どうせそんなの偶然でしょ、なんて思いつつ切符を買うたびについ確認してしまう。 この日、定期を忘れたわたしは切符を購入して電車に乗った。いつもIC定期券を使っていることもあり、駅に着く時間はギリギリ。どの駅に行っても慌てて切符を購入していた。なんだか忙しい1日。時間にの余裕をもって生活しようと、普段の生活をちょぴっと反省する1日。 そんな1日の