最後に残ったものとは...
こんばんは。社会不適合者です。
前記事で、「無理をしない」を徹底しているという話をした。
「これやった方がいいのかな?」「もったいないからこうしよう」という、気が進まない行為はやらないようにしている。
昨日晩、井筒ワインのメルローをがぶ飲みした結果、人格の崩壊を招くとんでもない酔い方をし、現在も絶賛二日酔い状態だ。頭は痛いし、お腹は壊すし、いくら寝ても疲労が取れない。本当は今日、結構大事めの飲み会だったのだが、それもキャンセルした。「無理をしている」からだ。今までの自分なら二日酔いの状態を押してでも行っただろう。
こういった生活をしていると、中々気楽で良いのだが、その反動か、本日「今後お前はどうやって生きていくつもりなんだ?金も実績も実力もルックスも何もないが、生きていけるつもりか?」みたいなことを周りから言われ続ける夢を見た。これも二日酔いの影響なのだろうか。
いや、おそらく、夢の中では「周りの人間」として現れているが、それは私自身なのだと思う。思えば、私はずっと自分を自分で責め続けていた。それはストイックという綺麗な意味合いではなく、「まともではない自分」を責めることで、まとも側に寄った気になっていただけ、「前に進んだ気になっていた」だけだ。実際は精神が磨耗するだけで、前に進むどころかどんどん後退を続けていただけだというのに。自分の思考回路や精神状態をわかってあげられるのは自分だけなのに、その自分が自分を否定するものだから、「自信」という概念が育つわけがないのだ。それが、夢にも現れているのだろうと思う。この、自分の”影”のような存在をどうにかしない限り、真の意味で前に進むことはできなさそうだ。
さて、そんな感じで、「無理をしない」を徹底したところ、自分が息抜きだと思っていたことでも、実はちょっと無理をしていたということも分かってきた。たとえば、私には長年追いかけてきたコンテンツがあったのだが、もうとっくに、追いかけることに疲れていた。それ関連でできた知り合いも沢山いて、その熱量に合わせていただけ、みたいなところがあったのだと思う。「好き」という気持ちの容量はずっと減り続けていたのだろう。今は、よほどのことが無い限り現場には行かなくて良いかなと思っている。まあ、タイミング悪く、この1年はよほどのことしかないので、この1年は走り続けると思うが。
そうやって、趣味の取捨選択も行っていったところ、誰に言われるわけでもなく時間を忘れて熱中してしまうものが、改めて浮き彫りになってきた。
その中でも顕著なのが「TCG」だ。オタクすぎる。私は「TCG」20年選手であり、さまざまなものに手を出してきたが、ずっと続けているのは「遊戯王」だ。
その「20年選手」「ずっと続けてきた」ことを「無理をして」貫こうという心の動きを疑い、このコンテンツからも手を引こうと思っているのだが、どうやらこの「手を引こう」というのがストレスになっているようだ目の前にあったら勝手に手を出してしまう。どうやらコイツだけは本当に好きらしい。
私は過去の体験からショップでのフリー対戦や大会参加が苦手である。これはこちらの精神の問題なので、それらの場所に非があるわけではない。なので、仲良い範囲でやるTCGが好きだ。今は周りもみんないい年齢になってきて、家庭を持っていない方が少なくなってきたので、できる機会が隔月に1回あればいい方となっていて、正直不完全燃焼感がある。なので、こちらでデッキを組んで、TCGに全く興味がない人間にプレイさせるというようなことを行っている。
話は変わるが、先日「ホロライブカードゲーム(通称ホロカ)」が発売した。自分が主戦場としている「遊戯王」では年一のお祭りパックや年末商戦に焦点を当てたおバカパックでもなれければ、田舎であれば基本的に買えないことはない。だが、このホロカは話が違うようで、田舎であっても基本的に抽選販売だった。予約という行為が非常に苦手な自分は、予約期間を逃し、発売日に店頭販売分を求めて奔走するしかなくなった。だが、それでさえそんなにストレスではなく、寧ろこのお祭り感を楽しんでいた。
朝早くから店舗回って、開封して、デッキを組んでいたら、いつの間にか日が暮れていた。夢中だった。ガキの頃から何もかわっちゃいない。
だがそれが今の自分には救いだった。結果的に自分は数BOX確保できたため、ホクホクだったこともプラスに働いているのかもしれない。まあ、実は全くカードは足りていないのだが…
自分の心というパンドラの箱を漁ったら、最後に残っていたのは一枚のカードだった、というのは中々物語的で面白いのかもしれない。