「花咲きたい」人生だったのかもしれない。
はじめに
「ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」という怪物コンテンツが世を席巻して幾星霜。クサい表現を敢えて用いると、世界に見つかったら後は一瞬だろうなと、このコンテンツに触れた誰もが考えていたことだろうと思うが、予想以上の跳ね具合に、私のような鈍間は、少し流れについていけていないところがある。
なので、ここで 「#蓮ノ空感想文」のハッシュタグを間借りしつつ、自身が抱いた原初の気持ちを整理していこうと思う。
出会ってしまった。もう逃げられない。
蓮ノ空との出会いは、別に劇的なこともなく、ずっと追っていたコンテンツの新シリーズが始まるというのでとりあえず触れておくかというくらいのものだった。
コンテンツに出会った当初、世の中を舐めきっていたハナタレ小僧だった自分も、今ではもうラブライブ!10年選手。触れてはおこうと言った手前申し訳ないが、フレッシュなコンテンツに気持ちを寄せられるかと言われれば自信はなかった。
だが、舞台が北陸であるというなら話は別だ。プロジェクトPVが公開され、その既視感に私の感情のボルテージは湧き上がった。
私は北陸の生まれである。悲しくも金沢ではないのだが、北陸の中でも、まあ金沢には馴染みのある方だと自負している。日常の中に違和感なく金沢が盛り込まれている人生、ロケ地に馴染みを感じるまでは一瞬だった(きっとこれは同郷の人間はみんなそうで、事実、後に無言で卯辰山公園の写真をXにアップしたところ秒速で「金沢いんの?」と友人から連絡が来た)
自分の年齢がどうだ、フレッシュがどうだ、などという瑣末な懸念は、一瞬にして消え去った。
北陸にラブライブ!が来るという待望に待望を重ねていた一つの夢が叶おうとしていた。
これから毎週末金沢に通って、何なら平日の夜に行ったっていい。たまに非オタの友人を白山イオンあたりに誘いつつ、金沢で飯を食ったっていい。バラ色のオタク人生が始まろうとしていた。
しかし、そんな北陸がアツい今、私は故郷を飛び出して数100kmも離れた別の街に住んでいる。
いつまで自分の話をするんだ。これは「#蓮ノ空感想文」だぞ、という声が方々から聞こえてくる。しかし、もう少しだけお時間をいただきたい。きっと最後には繋がるから。
というわけで、私はいわゆる移住をしたわけだが、正直なところ、私は地元に対してそれほど悪印象を持ってはいない。
こんなところに居られるか!と飛び出すほどのことはなかった。だが、私の心には薄っすらと暗雲がかかっていた。
田舎生まれの長男諸氏であれば理解してもらえることもあると思うのだが、社会人になってからも子供部屋に住み続けることは、特別非難されることはない。むしろ、長男は家を守れという古き時代の慣習が、実体を持って残り続けている。
そんな中にいても、やんわりと「このままでいいのだろうか」という不安が心の中で、無視できない澱みを生んでいた。
親の庇護下(別に引きこもっていたわけでもないのだが、庇護されていた感はやはり否めない)を抜け出して、独り立ちをするべきではないのか。
色々あって、新卒時代から勤めていた会社を辞めたタイミングで、その思いをより一層強めた自分は、徐行・安全運転で進んでいた人生の舵を思いっきり切ることにした。
「何かを変えたい」バイブスに支配されていた当時は、正論と現実が仇敵に見えていたので、立ち止まって考えることもしなかった。
しかして、地元を飛び出して、静岡に住んでいるわけだが、当たり前だがこれは本題ではない。
日野下花帆さんを通して見た、人生の光と陰
物騒な標題だ。本当に申し訳ない。
いい感じの言い回し、募集してます。
何かというと、第一話の日野下花帆さんと、自身の境遇や胸中が妙にリンクして、心に深く刺さってしまったという話だ。
この場面の共感性が非常に高く、心を抉られてしまったのだ。
なぜなら私も、今回の移住を友人たちに伝えた時、似たようなことを言われたからだ。このままで終わりたくないから、ちょっと冒険をしてみる、というようなことを煌びやかに脚色して友人たちに伝えた気がする。
すると友人たちは、こぞって前向きな言葉を投げかけてくれた。
しかし、自分の心の内では、この行動が正なる動きでない事をやんわりと理解しているのだ。
友人が褒めてくれるような「信念を持って輝かしい未来へ到達するための正なる動き」ではなく、突拍子もない行動で、「暗澹とした現状に風穴が空いてくれないかな」という実態のない子どもじみた願望、向こう見ずで無鉄砲な動き、言い換えるとそれは「逃避」である。
だから、友人の褒め言葉や激励を貰っても、苦笑いで返すことしかできない。なぜならそんな正しい動きではないから。ただ逃げていただけだから。
であれば、どこへ、どこへ自分は逃げたのか。
それは「ここではないどこか」というやつに他ならなかった。
「ここではないどこか」に行けば、人生の風向きが良い方向に変わっていく、いつか自分も何かを成せるはず、と。
このセリフが全てだ。
この世の「真実」である、と言い放ってしまっても良いだろう。
自分にとっての「未来」は、自分の中にしかない。
そして、その「真実」には、自分も薄っすら気が付いていた。というよりは、一度通り過ぎてすらいると思う。
しかし、「理解」には「実感」が必要なのだと思う。
そういう、歴史において普遍的に語り継がれてきた教えは、誰もが一度は通り過ぎるが、自分事として心に降りてくるには、「実感」が必要なのだと。
つまり、何が言いたいかというと、この事実を「実感」を持って「理解」できたのは他でもない日野下花帆さんのおかげであるということだ。
人生は、一人で歩くにはあまりに寂しく、険しく、果てしない。
旅には「道連れ」が必要だというのはどこかで聞いたセリフだが、このエピソード(第1話『花咲きたい』)を心に抱いて、人生という名の果てしない旅を進めていこうと思う。
おわりに
冒頭に「老兵は時代の流れについていけないので、原初の思いを振り返りながら気持ちを整理していく」みたいなことをほざいていますが、この記事は随分前に下書き段階にとどめていたものを「#蓮ノ空感想文」用に掘り出してきたものになります。
つまり何が言いたいかというと、現在はすっかり蓮ノ空に傾倒しており、旅の道連れどころか、普通に人生の”核”になっています。
2ndLIVE良すぎ、いい加減にしてください。