広瀬和生の「この落語を観た!」Vol.134
5月13日(土)「五月の萬橘」@シアターウエスト
広瀬和生「この落語を観た!」
5月13日(土)の演目はこちら。
鈴々舎美馬『金明竹』
三遊亭萬橘『あたま山』
三遊亭萬橘『蜘蛛駕籠』
~仲入り~
三遊亭萬橘『万両婿』
『あたま山』は現代設定。面倒臭がりの男がサクランボを食べて、種を出すのが面倒臭いので呑みこんだら芽が出て頭の上に桜の木が生えたという経緯を語り、サラリーマンの上司と部下が頭の上で花見をしている描写へ。色々と不便なので自力で桜を引っこ抜いたが、面倒臭がりなので穴に水が溜まって池になっても放っておいたら池が観光地として有名になり、勝手に開発されたりミサイル発射実験をされたりして、もう死んでしまおうと思ったけれども面倒臭がりなのでどこにも行かずに自分の頭に飛び込んだ……というサゲへ。ナンセンスでシュールな状況を淡々と当たり前のように地噺として語りきる萬橘の力技が光る。三日前に聞いた笑二の『あたま山』とは真逆の方向性だ。
『蜘蛛駕籠』は、駕籠屋が茶店の前で客引きをしている様子を、二人連れの男たちが土手から見物しているという独特な設定。「ここですよ、ここがいいんです」「ここって、私は弁当を使うのにいい場所はありませんかって言ったんですよ。あそこの茶店に行けばいいじゃないですか」「いや、ここで面白いものが見られんですよ。茶店の前に駕籠屋が二人いるでしょ? あれが面白いんですよ。私は毎日ここに見物に来てるんです。茶店からだと後ろからになってよく見えないから、ここがいいんですよ」というのが導入部で、通常の『蜘蛛駕籠』の駕籠屋の失敗の数々を描写する合間に「ほら、どうですか」「すごいですね」と面白がって見ている二人連れの会話が挿入されて進行していく。「ね? 誰も客にならないんですよ」「大変ですね」「本当に駕籠に乗りたい人はみんな他の駕籠で行っちゃってますから」「ホントだ、あの駕籠屋の周りには誰もいませんね。みんな遠巻きで見ているだけで」「これが本当の“客引き”でしょう」でサゲ。萬橘ならではのヒネリの効いた演出で新鮮に楽しませてもらった。
『万両婿』はネタ出し。講談の『万両婿』に圓生がサゲを付けた落語が『小間物屋政談』で、中身は同じ。萬橘は背負い小間物屋の小四郎を「小間物に夢中な男」という設定の、ちょっとヘンな男と演じている。小四郎は「上方に行けば面白い小間物が手に入るし、向こうでは江戸の小間物が珍しがられるだろう」とウキウキしながら上方に向かう山中で、追い剥ぎに身ぐるみはがれた若狭屋に遭遇。着替えに持っていた着物(大家からもらったもの)を若狭屋に与えた小四郎は、道に迷った自分が辿ってきたとおりの過酷なルート(崖を転がり落ちたり)を教えたので、小田原の宿に着いた病弱な若狭屋は疲労困憊、そのまま亡くなってしまうという展開。小四郎がもうちょっとマトモな人間だったら若狭屋は死なずに済んだかも?
若狭屋が「江戸京橋五郎兵衛町 相生屋小四郎」という書付けを持っていたので大家に連絡が行き、大家が店請け人と共に小田原へ向かい寺で仮埋葬してある死体を改めることになるが、店請け人が「小四郎さんはもっと背が高かった」と言うのに大家はマトモに死体を見ようとせず、遠巻きに見て「私があげた着物だ」と小四郎だと決めつける。死体は火葬されお骨を持って帰った大家は泣き暮らす未亡人おときに「塞ぎ込んでないで商いでもしたらどうだ」と勧め、女一人では大変だと小四郎の従兄弟の佐吉を後見に付けると、二人はとても相性がよく、やがて大家が二人を夫婦にさせる。
帰ってきた小四郎は大岡裁きで若狭屋の婿になれと言われるが、おときを諦められず「夫婦は心でございます」と繰り返すばかりで、若く美しい若狭屋の後家およしを見ようともしない。業を煮やした奉行が「若狭屋の後家の顔を見てみろ」と小四郎を促すと、小四郎の目に入ったのは二十二歳のおよしの美貌ではなく、髪に刺していた珍しい簪。「この人と一緒になればこの簪もついてきますか!? だったら引き受けます!」と、小四郎は美しい妻と三万両の身代を手に入れることに。ここでサゲに至るのではなく、萬橘は万両婿と呼ばれ羨ましがられた小四郎が一転して猛妻となったおよしの尻に敷かれる後日談を描いて笑わせ、「万両婿という噺でございます」と結んだ。小四郎をコミカルに描く異色の『万両婿』、萬橘ならではの楽しい一席だ。
次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!
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