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広瀬和生の「この落語を観た!」Vol.174

6月1日(土)
「この落語、主役を女に変えてみた~こみち噺スペシャルⅡ~」
                   @日本橋社会教育会館

<演目はこちら>

 鈴々舎美馬『死神婆』
 田辺いちか『井戸の茶碗~母と娘編~』
      ~仲入り~
 古今亭佑輔『厩火事~お松とお崎~』
 柳亭こみち『うどん屋と芸者』

柳亭こみちは古典に「主要な登場人物を男性から女性に代える」というアレンジを施すことで女性が演じやすくするという取り組みを数多くの演目で行なってきている。そうした演目を後輩の女性演者にもやってもらおうという試みが「この落語、主役を女に変えてみた~こみち噺スペシャル~」。去年8月に行なわれた第1回に続き、これが第2回。

トップバッターの鈴々舎美馬が演じた『死神婆』は、こみち演出の「死神が婆さん」という設定だけを残し、それ以外は完全にオリジナル。舞台は現代で、主人公は結婚を約束したホストに貢ぐために一流企業を辞めて風俗で働く30代の女性。貢いだ額は3千万円で、店を持ちたいという男のために消費者金融から借りた1千万円の借金を抱えている。だがホストは「もう冷めたから別れる」と一方的に切り出し、「金はもう使っちゃったし、アンタが勝手にくれただけ。借用書もないし、返す義理はない」と言い放つ。「赤ちゃんができたの」という彼女に「じゃあ、これで」と10万円を渡すと、「借金を返し終わったら、また店に来てね」と言い捨てて男は出ていった。「殺してやる…」と呟く彼女だったが、母からの電話に出て屈託のない母の話を聞いているうちに「人殺しの親にはできない」と思い直し、自ら死のうと樹海へ向かう。

樹海に辿り着いた彼女が「こんな終わり方か…」と呟くと、そこに現われたのが死神と名乗る婆さん。死神は「お前が死んだら借金取りがお前の親のところへ行く。それにお前はまだ寿命がある。金が必要なら、仕事を世話してやるから人生をやり直すんだ」と言う。呪術師になって儲ければ借金は返せる、というのだ。現代の医学でも治らない、医者が見放した病人の足元にいる死神を呪文で追い払えばいい、と。ただし枕元にいる死神には手を出してはいけない、とも付け加えた。

彼女は東京に戻り、“呪術師リン”と名乗ってXに投稿したところ、大企業の社長から「余命宣告された妻の命を救ってほしい」とDMが来た。愛する妻のためなら幾らでも出すと真摯に頼む社長の姿を見て「私もこういう風に愛されたかったなあ…」と呟くリン。医者に見放されたという病人の足元にいた死神を呪文で追い払い、リンは謝礼の1千万で借金を返すことができた。と、父からの電話。先日の電話では元気そうに話していた母が実は末期ガンで、もう長くないのだという。慌てて故郷に帰るリン。病室で眠る母の枕元には死神が。リンは病床の母の位置を入れ替え、足元に死神を移すと呪文で死神を追い払った。途端に目覚めて元気を取り戻す母。

母が食べたいという鰻を買いに出たリンの前に現われたのはあの死神婆さん。霊安室のような場所に連れて行かれると、人間の寿命の蝋燭が大量に。「枕元の死神には手を出すなと言っただろ」と死神は言い、リンは自分の寿命と母の寿命を取り換えたのだと告げる。今にも消えそうなリンの寿命の蝋燭を前に、「お前にチャンスをやる。この新しい蝋燭に火を移せば…」と死神が言いかけるが、リンは「もういいよ、お母さんが助かるなら。お金も返せたし。私も悪かったんだ。ツケは払わなきゃ。それに、お婆ちゃんが連れてってくれるんなら、怖くないかな」

(以下ネタバレあり)

「本当にいいのかい?」と尋ねる死神。「もう消えるよ…ほら、消えた」

だが、リンは死ななかった。「私、死んでない…」「おかしいねえ、火は消えたのに。…お前さん、命をふたつ持ってたね」 ハッとするリン。「その子が、お前の身代わりになった。感謝するんだな」 それを聞いたリンは自分のお腹に向かって「そんな…ごめん…ごめんね…」と謝る。

「良かったな、とは言わないよ。命の重さを知ってたくさん後悔し、たくさん反省しな。お前にはもう死神は見えない。しっかり生きるんだ。この子は私が連れてってあげるから安心しな」「ありがとう、お婆ちゃん。また会える?」「ああ、いつかお前が死ぬときにね」

感動の余韻が残る、素晴らしい一席。母を思う純粋な気持ちから寿命を取り換え、自らの死を受け入れた彼女の命を救ったのは、まだ見ぬ我が子だった…。なんという素晴らしい物語だろう。美馬の創作力に圧倒された。逸材だ。

講談の『細川茶碗屋敷の由来』を初代春風亭柳枝が落語に移し、歴代の演者によって磨かれてきた『井戸の茶碗』。仏像を屑屋に売るのは浪人の千代田卜斎、屑屋の清兵衛が卜斎から買った仏像を売る相手は細川家の高木作左衛門という『井戸の茶碗』の設定を、こみちは千代田卜斎ではなくその未亡人である千代田の妻が屑屋に仏像を売る、というものに変えている。だが、講談においては屑屋に仏像を売るのは芸州浪人の川村惣左衛門、その仏像を屑屋から買うのは細川家の田中宇兵衛。講談師の田辺いちかはこの講談の設定をベースに、「川村惣左衛門の未亡人が女手ひとつで娘を育てた」ということにして演じた。

田中宇兵衛は仏像の中から五十両が出てきたを元の持ち主に返そうと屑屋を探し出すことに。(若侍が屑屋を片っ端から呼び止める理由が「殿様の指南番だった父の仇を打つため」という作り話を披露する男の語り口が修羅場読み調になり「講談が始まっちゃったよ」となるのが楽しい) 仏像を打った屑屋の清兵衛が田中宇兵衛の許に行き、川村惣左衛門の妻が住まう長屋に宇兵衛を案内することに。落語だと屑屋が一人で五十両を持って行ったり来たりするところだが、講談では田中宇兵衛が屑屋と共に川村宅を訪ねるという設定。いちかもそれに倣い、宇兵衛が川村の妻、そしてひとり娘と対面する。

武家の誇りにかけて金は受け取れないと言い募る川村の妻と田中の押し問答の間に入った大家の提案で、未亡人は「川村家に嫁いだ際に実家から譲り受けた茶碗」を田中に渡すことに。この「未亡人が実家から持ってきた茶碗」という設定はこみちが創作したものだが、納得できる。講談とは異なり「二十両、二十両、十両に分ける」という落語の演出をいちかも踏襲して落語の『井戸の茶碗』の筋をなぞることになるが、「田中宇兵衛が自ら長屋に出向いた」という講談の設定が生きているので「百五十両を輿入れの支度金に」という母の提案に対し「母上のおおせのとおりにとはにかむ娘は頬を赤らめて嬉しそう」であり田中も「あの娘なら喜んで」となる(つまり既に互いに惚れあっていたということ)。これがまた実に気持ちいい。母が娘を田中に嫁がせようと思いつく理由も「田中様の御気性は亡き川村を思わせます」という台詞が見事に説明している。

ラストは「また小判が出てくるといけない」とサゲるのではなく、地の語りで美男と美女が華燭の典、細川の殿様もこの一家の涼やかな気性を愛でて田中は出世をし、床についていた川村の妻の病も癒えて幸せに暮らしたと申します…と講談らしく締めた。「落語ではなく講談で」といういちかの判断とこみち演出の相乗効果で、聴き応えのある爽快な一席となった。

古今亭佑輔が演じたのは、髪結いのお崎が「もうあんな亭主とは別れる」という愚痴を言いに長屋に住む年上の女性お松を訪ねてガールズトーク的な会話をするという演出に『厩火事』を変えたもの。お松とお崎の関係性の中で生じる“脱線”に、普通の『厩火事』にはないトボケた可笑しさが生まれるこみち演出を、佑輔はかなり忠実に再現した。

トリはこみちで『うどん屋と芸者』。女性の演者が古典落語の中で「男性の酔っぱらいを演じる」「麺類をズルズル食べる」のがお客さんにとって居心地が悪そうだ、というこみちの実感から生まれた『うどん屋』の改作。

屋台のうどん屋を相手に長々と話した挙句にうどんを食べずに帰ってしまう客を男の酔っぱらいではなく芸者の二人組に変え、この芸者たちのおしゃべりとうどん屋とのやり取りの楽しさをメインにしたもの。次に乱暴な口調の女性客が訪れてうどんを慌ただしく食べ、うどん屋を「色気ねえなあ…」と嘆かせる。そして三人目には女らしく上品にうどんを食べる色っぽい女性客が登場してうどん屋を有頂天にさせ、食べ終わって「明日もまたここに来ます?」と問いかけられて自分に気があるのかと喜んだうどん屋が「はいっ!」と答えると「じゃあ今度は亭主と来ます」と言われてガックリ、というオチ。

確かにこの演出だと女性が演じることに違和感が生じる余地がまったくない。しかも最初の“芸者二人連れ”のガールズトークが実に面白く、翻弄されるうどん屋、という構図も独特。演者こみち自身のフラが活かされた噺でもある。

抜きん出た創作力で大きな感動を与えた美馬、切れ味のいい爽快な語り口で物語に引き込んだいちか、ガールズトークで別の一面を垣間見せた佑輔、持ち前の“巧さ”とトボケた可笑しさをフルに発揮したこみちと、バラエティに富んだ顔合わせの妙が楽しめた聴き応え満点の一夜。いい企画だ。