セクシュアリティを過度に矮小化するのもいかがなものかと
近年目立つ言質として「性的志向/セクシュアリティはその人のほんの一部を構成する要素に過ぎず、そのことに囚われ過ぎる必要などない」というものがある。
本当にそうだろうか?
なるほど確かに人間は様々な要素で成り立っている。器用な人不器用な人、イケメンな人不細工な人、話の面白い人つまらない人、アウトドア派とインドア派、運動神経万能な人運動音痴な人、頭の回転の良い人悪い人、高収入な人低収入な人、高学歴な人低学歴な人、実家の理解に恵まれる人恵まれない人、その他、その他、その他…。
こう書き連ねてみると、「セクシュアリティなど大したことない」という様に感じられるかもしれない。一部は同意しよう。
だが、この言質にはざっと3つの問題点がある。まあただの戯言なので納得できない方は悪しからずご容赦ください。
①:上記の「セクシュアリティ以外の要素」の内、殆どがネガティブな人はどうなるのだろうか?つまり不器用で、不細工で、インドア派で、頭の回転も悪く運動も苦手…こういう人間にとって、更に「男しか愛せない」というのはかなり致命傷ではないだろうか?
そんなどうしようもない人間でも「守るべき大事な女房子供がいて、俺がガキ共を喰わせなければ」となれば、頑張って働けるものだ。だが子供どころかゲイのパートナーもいない人間にとって、自分一人でヨボヨボになるまで働かなくてはならない、というのはかなりの苦痛だ。少なくとも私にとっては。
私の場合収入は悪くない職種なので、いい年して結婚してしない男は周囲に殆どいない。従って余計にキツい仕事のモチベーションは「家庭を持って、守るべき者のために奮闘する」ことにあるのではないか、と思えてしまう。自分がストレートならパートナーは絶対できた、とは言わないが、正直言ってこの人でも結婚しているのか…という者ですら3人も4人も子供がいるのは、羨ましいものだ。
尚、私の両親は事あるごとに「子供を持たない者が増えると国や社会が滅びるので、彼らから税金を搾り取れ」とのたまう古臭い考えの持ち主なので、カミングアウトしたところで私と深い亀裂が入ることは想像に難くない。修復できたとしても以前とは異なった、非常にぎこちなく他人行儀なものになることが予想される。子供を持った兄弟姉妹がいるため、そちらに全力で愛情を注ぐことになるだろう。
②:これは①にも関連することだが、ゲイの界隈というのは傍から見ていてかなりルッキズム(ルックス至上主義)が蔓延する世の中だ。若い内は外見の維持にあまり苦労しなくとも、還暦を迎える頃には誰だってよぼよぼの爺だ。そして、その年代になってもパートナーとして2人一緒に歩んでいけるゲイカップルは――レズビアンのカップルについては私の理解が浅いので断定できないが――果たしてどれほど存在するのだろうか?
ゲイのカップルは結構不倫率が高い。はっきり言ってしまえば「ストレートのカップルより、体重視の関係」だからだ。ストレートのカップルに重視される「不細工でも内面は優しくて、高収入で…」というのは、この界隈ではあまり重要視されない。体と体の刹那的で短い間柄、病気のリスクも格段に大きい。それがゲイコミュニティに殆ど関わりのない一人のゲイの率直な印象である。
③:ペドフィリア、エフェボフィリアはどうなるのか?彼らはパートナーを持つことは100%法的に不可能だ。いくら運動が出来て、イケメンで、頭がよくとも…そのセクシュアリティを抱える時点で、独身以外の道はない。何らかの手段で運よくパートナーを得られたとしても、それこそ逮捕に怯えながら身体だけの刹那的な関係にならざるを得ない。より深い間柄になろうとすれば周囲に関係が発覚するリスクが高まり、破滅が待っている。
そんな者たちにも気安く、「性的志向/セクシュアリティはその人のほんの一部を構成する要素に過ぎず、そのことに囚われ過ぎる必要などない」と言えますか。
まずは認めよう。「性的マイノリティーに生まれた時点で、ストレートより重い十字架を背負っている」と。