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#42 ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート/ジョイ・ディヴィジョン

 ジョイ・ディヴィジョンを知ったのは、「ロッキング・オン」だった。この音楽雑誌の特徴は、読者からの投稿であり、最初はこの投稿記事を雑誌の編集者が書いているのか、誰が書いているのか判別できなかった。

 しかしよく見ると、ページの片隅に、投稿者の住所と名前がしっかりと掲載してあるのだ。したがって記事が読者の書いた投稿であることがわかってくる。令和の時代にはありえない個人情報の流布である。

 文章の冒頭、まったく関連性のない記述から始まっていたり、別件の御託を並べたりしながら徐々にアーティストや作品、楽曲批評につながっていくのが“ロッキング・オン投稿構文”なのだが…。要するに、音楽批評としては回りくどいのである。私は嫌いではなかったが、おそらく嫌悪感を持つ人もいただろう。

 80年代後半、ニュー・オーダーの活躍に比例して、イアン・カーティスへの想いを馳せるロックファンが、重い口を開き始める。

 ニュー・オーダーの前身バンド、ジョイ・ディヴィジョンのヴォーカル、イアン・カーティス。パンクとニュー・ウェイヴのちょうど端境期に登場したマンチェスターの4人組バンドで、メンバーはイアン・カーティス、バーナード・アルブレヒト、ピーター・フック、スティーヴン・モリス。

 76年6月4日、マンチェスターはフリー・トレード・ホールのセックス・ピストルズのライブ。ピート・シェリー率いるバズコックスの主催。

 たった42人の観客の中に、バーナード、ピーターのほか、ファクトリーレーベルを興すトニー・ウィルソン、JDのプロデュースを担当するマーティン・ハネット、のちにザ・スミスを結成するモリッシー、シンプリー・レッドをつくるミック・ハックネル、ザ・フォールをつくるマーク・E・スミスらがいた。

 ファクトリーは、トータルのアートワークをピーター・サヴィルが務め、第1号アーティストとしてジョイ・ディヴィジョンをシーンに送り込む。イアンは、てんかんやうつ病に悩まされていたが、公務員として職業安定所で働きながら、バンド活動を続ける。

 高校からの付き合いとなるデボラと結婚し娘も授かる。その一方で、ファンジンの編集者であり、クレプスキュールの創設者、アニック・オノレと不倫関係になり、成功へと向かう音楽活動のプレッシャー、病との果てのない闘い、妻と愛人との恋愛にも疲弊し、全米ツアーに出発する前日の1980年5月18日未明、キッチンで首を吊ってしまう。23歳の若さだった。

 このMVを初めて見たのは、ピーター・バラカンさんのTV番組だった。いつものように、旭川のレコファンへ盤を探しに行く。で、LP【サブスタンス】を買う。A面冒頭、初期の名曲「ワルシャワ」に脳天を衝かれる。

 そして、「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」のイントロ。乾いたギターカッティング、スティーヴンのつんのめるドラム、ピーターの重すぎるベース、そこにバーナードのチープなシンセ。こんな音になぜここまで、心を動かされるのか。なぜこんなにも美しく悲しいのか。

 もちろんイアンの不在がそう思わせているのだが。「愛はまたしても私たちを分かつ」、その諦観や厭世観が当時の自分にマッチしていたのかもしれない。

 2008年には映画【コントロール】が公開され、私にとって何度目かのJDブームがやってくる。イアンがいないニュー・オーダーには、いまやピーター・フックもいない。40年とはそういう時間である。

★番組情報:レコードアワー
放送時間:毎週月曜 8:00~9:00
再放送情報は三角山放送局HPのタイムテーブルをご確認ください

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