#5 渚のボーダー/アメリカ
町の写真館の店主と私の父親は、幼馴染で高校まで同級生だった。その写真館は写真資材のほかに、カセットテープも売っており、エアチェック用のテープは基本的にそこで買っていた。
お気に入りテープは変遷した。もちろん写真館の品ぞろえに左右されるので、こだわりはない。おそらく最初はSONYのBHFだったと思う。オレンジのCHF、緑のBHF、そしてブルーのAHF。すべてノーマルだがグレードが上がっていく。CHFもかなりお世話になったが、手元にある最初のエアチェックテープは、BHF60である。
その後、マクセルUDⅠを使用する時期が長かった。達郎さんリスペクトからのマクセルであったが、ザ・モッズの「激しい雨が」が流れるCMもカッコよかった。途中、AXIAやTDKに浮気することもあったが、基本的にはSONYとmaxellが既定路線だった。
83年の中1のころから、FM誌に蛍光ペンで印をつけ、エアチェッカーとしての日々が本格的に始まった。番組全体ではなく、フルでOAされる番組を厳選しては曲ごとに録音する。PAUSE(一時停止)ボタンを押しておいて、REC(録音)とPLAY(再生)を同時に押下しておく。曲がかかる瞬間にPAUSEを解除する。当然、ガチャという音もそのままRECされる。
ガチャ!が最初はとてもイヤだった。記念すべき初エアチェック曲が、アメリカの「渚のボーダー」。アメリカは、72年にジョージ・マーティンのプロデュースでデビュー。親が米軍でイギリス駐留中に子どもたちが出会いトリオを結成。いきなり「名前のない馬」がチャートを制し、グラミーの新人賞を受ける。70年代は順調にヒットを飛ばしたものの、77年にダン・ピークが脱退。デュオとなり80年代に入っても持ち前のハーモニーを活かしたアメリカンロックを聞かせていた。
70年代をサヴァイブしたバンドは、80年代に入るとシンセやテクノロジーを駆使したサウンドに押されていく。彼らのようなアコースティックサウンドを主流にしていたグループの多くは、AOR的要素を採用しつつ、より洗練されたソリッドな方向性を模索していた。
「渚のボーダー」は砂浜でダイヤモンドゲームをするジェリー・ベックリーとデューイ・バネルのジャケットが印象的。のちに大箱に200円で売られていた中古LPを見つけたときには、嬉しさと寂しさが同時に沸き起こり複雑な心境で盤を購入したのを覚えている。スリリングな旋律、何かを求めさまよう越境者の心象表現、何かに追われるようなザクザクとしたエッジの効いたアレンジは、日本のアイドル歌謡にも少なからず影響を与えていると思う。
大人になる直前スレスレの感情を表すアレンジは、この曲のテーマである“越境”に重なる部分があるのだろう。大ヒットには至らなかったものの、洋楽を聴き始めた中1には十分な爪痕を残し、エアチェックの扉を開く想い出のナンバーとなった。