#35 ひき潮/さだまさし
小3の秋、家にSANYOのラジカセがやってきた。入院していた父が一時退院の際に買ってきたと記憶している。AM/FMバンド、1WAYスピーカー、重厚感のあるブラックの躯体で、当時としてはかなりポピュラーな型といえた。
その79年はゴダイゴと関白宣言とヤングマンの年だった。ジュディさん、京平先生、阿木さん、酒井P、ごめんなさい。「魅せられて」は少し苦手なの・・・。レコード大賞も本当ならば文句なしで「ヤングマン」が獲るべきだった。外国曲であるとの理由で受賞を逃したが、歌謡界が最も豊潤な果実を実らせた70年代、その鮮やかな終焉を飾ったのが79年であった。
11月になり、とある祝日の夕方だったと記憶している。NHKホールで行われたさだまさしのコンサートがテレビで放送されていた。テレビの歌番組をラジカセで録音することが、兄弟の流行になっていたので「関白宣言」や「天までとどけ」を聴きたい一心でテープを回した。「風の篝火」「まほろば」「空蝉」。歌詞の意味はわからない。そんな小3でも、彼の日本語詞の美しさは感じることができた。
同時に、曲間のステージトークの巧みさは子ども心に衝撃だった。この人は歌手なのか、漫談家なのか。ファンには有名な「関白宣言」前のステージトーク。『戦後、強くなったのはオンナと靴下だねえ…そんなことが言えた時代は、もう去ったんです・・・』で始まる“関白宣言ブーム”を皮肉る自虐性、“女性蔑視の歌”と表層だけを鵜吞みにして単純化する批評界の貧弱さ。“マザコン”、“軟弱”、“右翼歌手”、貼られたレッテルの弾丸を軽妙に避けながら、崇高な自身の音楽世界を追究してきた才人である。
その後、兄が【夢供養】のミュージックカセットを買った。というか買ってもらった。「ゆめくよう」と読み、決して「むきょうよう」とは読まないでくださいとある。吉川忠英が奏でるイントロのギターからすでに名曲の「風の篝火」、万葉集・大和言葉の人気曲「まほろば」、短編小説のような「療養所」、あみんの由来となった「パンプキンパイとシナモンティー」、バイオリン留学で中学から上京したまっさんの青春を歌った「木根川橋」など、代表曲が次々と並んでいる。
「無縁坂」「精霊流し」「僕にまかせてください」など、死者に思いを馳せる曲も多いなか、さらに夢を供養するという発想である。ハタから見れば暗く映るのだろう。パブリックイメージは恐ろしい。今でこそ名曲ぞろいと思うが、小3にとってはお経であり呪文に近い。ただ、耳コピしているため、いまだにそらで歌うことができる。音(おん)で憶えているのだ。まっさんのアルバムB面ラストには、名高い佳曲がひしめく。「晩鐘」「主人公」「博物館」「片おしどり」「祈り」「風に立つライオン」。中でもこの「ひき潮」は私のベストワンである。
今日では小説家としても活躍する彼は、ストーリー性が強いイメージがあるが、この曲は概念やメタファーに満ちている。都会につかれた人なのか、人生の終わりを迎えようとしている人なのか、命の灯が消えかかっている人なのか。都会と地方、若と老、生と死、さまざまな対比がこの歌に通底し、どちら側の居場所も肯定すべきであると聞こえるのだ。ひき潮も地球の反対側では満ち潮である。さだまさしの死生観や人間とのかかわり方のようなものが、この曲の中に溶け込んでいるように思う。“生きるのが下手な人と話がしたい”のフレーズ。小3ながらに自分に呼び掛けてくれているような気がして救われた。
★番組情報:レコードアワー
放送時間:毎週月曜 8:00~9:00
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