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#40 ジャニュアリー/パイロット

 パイロットの「マジック」はエアチェック小僧を始めた当初、すぐに好きになりそのカセットを何度も聞いた記憶がある。ナイスプライスCDのファーストアルバムを購入したのは90年代の初めだった。

 高校の時、大好きだった番組に、萩原健太さんの「ミュージックシティ」がある、確か木曜日の担当で、その後の私の音楽ライフは、この番組にかなりの影響を受けている。

 基本的にはオールディーズ洋楽の番組で、作詞・作曲家にスポット当てたソングライターズファイルや、レーベルにフォーカスしたミニ特集の切り口は「レコードアワー」の先達である。健太さんはその番組構成の先達は大滝さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」と語っているので、厚かましい言い方をすると、私は大滝さんの孫弟子という言い方もできなくもない。図々しいけれど。

 その番組でパイロットの「ジャニュアリー」を聞く。イギリスのチャートで首位になったという。チャートアクションに違わぬ、ワクワクする冬のポップソングだ。

 世にビートルズライクな楽曲は数あれど、彼らの「マジック」はその筆頭の1曲だ。ウーララコーラス、ハンドクラップ、ポール直系のメロディ。チューリップの「魔法の黄色い靴」との類似性も感じずにはいられない。

 ビートルズを失った70年代前半の世界では、ビートルズルーツを隠さずに誰も正直に音楽表現をしていた。ロックは60年代に劇的な“進化”を遂げ、70年代にはその“進化”がさらに“多様化”していく。無数の枝葉に分かれロックのボキャブラリーは拡大を重ねていった。

 冷戦真っただ中で、ベトナムも泥沼化、国際紛争も相次ぎ、テロも多発した。そんな混乱の70年代が、大衆が求めるロックを育てつつ、ロックビジネスになり、パンクがぶち壊すまで、その拡大は続いていた。しかし、その“多様化”の一因はビートルズにあるのではないか、というのが私の考えだ。

 70年代に考え得るロックの可能性は、ほぼ60年代にビートルズが着手している。ヘヴィーロック、ハードロック、レゲエ、クラシカル(プログレ)、ブラスロック、アヴァンギャルド。ビートルズのプロダクツは、70年代においては一般教養として当たり前に“通過”すべき音楽となっていた。次世代によるビートルズライクな楽曲も必然的にどんどん生まれていったし、それは図らずもビートルズの穴を埋めるのはわれわれだ!と誇示するようにも見えていた。

 エジンバラといえば、ベイ・シティ・ローラーズで一躍有名になったイギリスの街だが、デヴィッド・ペイトン(Vo.Ba)は、初期メンの一人だった。

 71年にBCRを抜けた後、ティファニーズというライブハウスで、イアン・ベアンソン(G.)と出会う。パイロットのあと、旧知のエンジニア、アラン・パーソンズのバンドに参加。アラン・パーソンズ・プロジェクトの「アイ・イン・ザ・スカイ」も「ドント・アンサー・ミー」も、ベースはデヴィッド・ペイトン、ギターはイアン・ベアンソンである。

 ポール直系のメロディ、ペイトンもベースを弾きながら歌う。ベアンソンはメロディにカウンターで入るオブリガートの名手だ。むしろ、そのギターフレーズを口さんでいるほうが心地よい。それこそが、パイロットというバンドの“魔法”なのかもしれない。

★番組情報:レコードアワー
放送時間:毎週月曜 8:00~9:00
再放送情報は三角山放送局HPのタイムテーブルをご確認ください

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