肉態演劇
戸松美貴博さん×伊藤雄馬さんの肉態演劇にいきました!
鑑賞という言葉より体験という言葉がしっくりきます。
肉態演劇は、私が持っている色んな気持ちを整理してくれるものでも、答えをくれるものでもなく、ただひたすらに、自分の深いところを混ぜて、拡張するような時間でした。
私が今まで見てきた演劇は、ステージと客席が明確に分かれていましたが、
肉態演劇は、部屋の中央に演じる空間があり、なんとなく座席が取り囲む、という調子で演じる空間と客席の境界がかなり曖昧な状態です。
概要を説明すると、
戸松美さん演じる精神医療系のスタッフが、患者さんから計4通の手紙をもらう。そして1通読むごとに手紙に描かれた精神世界が表現される。
というものです。
細かくあらすじを書く事に意味がないので、自分が感じたことのみを書きます。
最近私が気持ちよいな、と感じて実践していることは、自分が今まで関わってこなかったレイヤーを生きている人とコミュニケーションをとる。ということです。
自分が当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなった時に、
自分はどんな輪郭線になるんだろう、と。
劇中では、
・言語が違う2者
・人間と精霊
・大人と子供
・疾患がある人とない人
・布を一枚纏うか纏わないか
・演者と客
・次元
・リアルと映像
・右や左などの方向
などの「境界」が様々な形で提示され、それがゆるく混ざり合い混沌とした状態で表現されます。
劇中繰り返される
そのまま
このまま
ありのままに
という言葉。
自分らしく生きればいいんだよーー
そのままで素敵だよーー
今を生きようねーー
など、街中やメディア、SNSで聞き飽きるほど聞きますが、私には解像度が低くて理解できません。
肉態演劇では、とても分かりにくい形で
そのまま
このまま
ありのままに
が表現されているのですが、こちらの方が腹落ちする感があるのはなぜなのでしょう。
そのまま、このまま、ありのままに、という言葉は、自分が使う用の言葉で、誰かに伝えるようの言葉ではないのかな
最近お会いするみなさん、見る作品などからたくさん影響を受けて、
自分が分かってきたような、もっと分からなくなるような、というところで、
肉態演劇に更に境界を溶かされてもうどろどろです笑
暮らしやすい環境、水温の方へ自然と泳ぐ魚のように、
私にもまだ泳ぐ余地があるな、という再確認ができました。
元気出ました。
本当に素敵な公演でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?