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トー横の彼ら

 歌舞伎町が好きだ、という記事を書こうと思っていた。ヒトが吐き捨てた痰とトラックが吹かした排気ガスが交尾してできたのがあの街なのだろう。ゴミが散らかっていて、酔っ払いが腹を出して寝ている。キャッチの頭上で、「キャッチの言うことは全て嘘です」という全否定の放送がかかっている。そんな混沌とした歌舞伎町という街が好きだ。

 今まで私は酒と性の入り乱れるごった煮のような歌舞伎町ばかりを見ており、その上で歌舞伎町を愛していた。今もその気持ちは変わらない。しかし今日、思いつきで所謂トー横を覗いてみて何とも言えぬ複雑な気持ちになった。

 毛布やタオルを地べたに敷き、十代や二十代の子たちが空の酒の缶でいっぱいになったゴミ袋の横で座っている。警察官もすぐそこにいるが、いるだけだ。寒々とした秋空の下、冷たい壁のそばにトー横キッズたちはいる。

 トー横を見た時、随分と前に恋人とラブホテルに行った際に高校の制服を着た女の子が中年の男と一緒に出てきたのを目撃した時と同じような気分になった。その女の子は、「お仕事頑張ってね」と言って中年男にハグをして先に帰っていった。その後ろ姿を、私は三年ほどが経つ今も忘れることができない。

 私が高校生だった頃にはお世辞にも良い子だったとは言えず、不登校に近い荒れ気味の生活を送っていた。しかしぎりぎりのところで踏みとどまっていた(と私は思いたい)のは、実家の経済事情がある程度安定していて、遺伝のおかげか地頭も目立って悪いわけではなく、それなりに親に愛されて育ったからなのだろう。自己肯定感もおそらく高くはないが人並み程度の自信はあり、普通の会社に就職して働いている。そんな私だから、歌舞伎町が好きだなどと言えているのかもしれない。

 トー横でたむろしている者たちの中には、いつ虐待親から殺されるか分からないような環境から逃げてきた人もいるだろう。勉強して軌道に乗ることも難しく、頼れる者もいない。頼れるような者が実はそばにいたとしても、助けを求める方法が分からない。助けを求めれば馬鹿にされるか殴られるか、そのどちらかの結末しか知らなければ、誰がしかるべき機関に連絡して助けてもらう方法など探すだろうか。私は今のところは外部の者として歌舞伎町を眺めることができているが、そうでなければ、この散らかった世界を愛おしむこともできなかったかもしれない。

 彼らの世界も丸ごと愛しく思う私は多分本当の意味では何も分かっていないのだろうし、そう思うこと自体が凄まじく傲慢なのだろう。そう気づいても、どうしたら良いのか分からない。結局のところ、そのように愛を語っていても中途半端に諦めている私が、一番冷淡なのかもしれない。

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