冷戦とMiG(ミグ)設計局

第二次世界大戦の終了から1989年のマルタ会談まで44年間続いた冷戦。その冷戦時代、東側諸国の名だたる戦闘機を設計したのがソ連のモスクワにあるミグ設計局でした。その存在は、映画「トップガン」の架空戦闘機(演じたのはアメリカ製のF-5E/F)にも名前が使われるほどです。ソ連では他にもスホーイ設計局やヤコヴレフ設計局などが戦闘機を設計していまいしたが、冷戦期における知名度としては、ミグがダントツだったと言っていいでしょう。ここでは主にミグ設計局と、その有名な戦闘機を紹介していきたいと思います。

MiG設計局

ミグ設計局はアルメニア人のアルチョム・ミコヤンとロシア人のミハイル・グレーヴィチによって、1939年にモスクワで開局されました。ソ連時代の正式名称は「A・I・ミカイァーンとM・I・グレーヴィチ記念設計局」(ОКБ и.м. А.И.Микояна и М.И.Гуревича)です。第二次世界大戦中から戦闘機の設計を行ってきましたが、冷戦中のジェット戦闘機設計は目を見張るものがありました。ソ連崩壊後の1996年には民営化され、2017年にロシアの統一航空機製造会社(UAC)によってスホーイとともに合併、統合されることが発表されました。UACのホームページを見る限り、最近では主にミグ29やその姉妹機ともいえるミグ35のアップグレードに注力しているようです。


ミグ15

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朝鮮戦争にて被弾するミグ15(米空軍撮影)

ミグ15、NATOコードネーム「ファゴット」は1947年に初飛行したミグ設計局設計の戦闘機です。朝鮮戦争での活躍でミグ設計局の名を有名なものとしました。開発においては、戦勝によってドイツから手に入れた後退翼のデータが大きかったと言われています。機体は軽量化を重視すると共に、複雑な機構よりも確実な動作を求めたものでした。朝鮮戦争では主に中国義勇軍によって用いられ、アメリカをはじめとする国連軍の制空権を脅かしました。後にその改良型ともいうべきミグ17が開発され一線を退きますが、総製造数は15000機を超えると言われます。

ミグ19

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ミグ19は、世界で二番目の超音速戦闘機(一番目はアメリカのF-100スーパーセイバー)として1954に初飛行をはたしました。ソ連防空軍(空軍とは別組織)用として開発され、アメリカの偵察機U-2の迎撃やベトナム戦争で活躍しました。

ミグ21

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ミグ21はミグ15から17、19と受け継がれてきた後退翼ではななく、水平尾翼を持ったデルタ翼機でした。マッハ2クラスの戦闘機でありながらソ連製だけで8000機以上生産されており、長年多数の国で使用されました。1955年に原型機が初飛行し、中国などでは幾つかのサブタイプが開発されました。

ミグ25

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1976年に日本の函館空港に強行着陸したことでも有名な戦闘機です。実用化された唯一のマッハ3クラスの戦闘機であり、1967年にモスクワの航空ショーで登場した際はアメリカに大きな危機感をもたらしました。しかし、アメリカが持った危機感は前述の強行着陸事件で実機を調査可能になり、その結果解消されました。
アメリカは高速かつ高機動で、電子機器もかなりレベルも高い物と予想していました。しかし、実際は高速ではあるものの機体構造上予想ほど長時間高速は出せず、電子機器は信頼性重視のものでオーソドックスなものでした。また、防空システムの一部となる迎撃機として設計されたため、機動性はそれほど高い物ではなく、ミサイルキャリアーとしての性格が強かったと言えました。また、アルチョム・ミコヤン設計の最後の機体でもありました。

ミグ29

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1970年代のアメリカ製戦闘機F-14、F-15に対抗するため開発されました。当時ソ連では多数のミグ21等の旧式ともいえる戦闘機が現役であり、新型の戦闘機開発は必須でした。量産開始は1982年でしたが、冷戦終結に伴う予算削減と、ライバル機Su-27の存在から売上は伸び悩みました。


参考

世界のジェット戦闘機/野原茂

WORLD AIR POWER JOURNAL

https://www.airspacemag.com

http://www.uacrussia.ru/en/

の対象ページ。

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