臨床医から産業医になった理由

備忘録として

はじめに


現在、専属産業医として働いています。前までは市中急性期病院で勤務医をしていました。初期研修後に急性期病院に進み、その後、産業医へ転向したキャリアです。急性期病院では産業医業務に全く関与していなかったため、産業医に対する知識やイメージは転職時点でほとんどありませんでした。
いきなり産業医です。

病院勤務医時代、待遇には特に不満はありませんでした。主治医制の日勤、夜間休日の待機医オンコール制で、夜間や休日も呼び出しは限定的でした。当直も月2-3回程度。給与も外勤なしで1400~1600万円程度で、急性期病院としてはホワイトな環境だったと思います。コメディカルとの関係も良く非常に働きやすかったです。それでも臨床を離れ、産業医へと転職したのはなぜか。以下に、その理由をまとめます。

転職理由:ネガティブ面とポジティブ面


転職にはさまざまな理由が絡みますが、主に次のような点だったと思います。

  1. 医療制度と高齢者医療への疑問
    臨床で高齢者医療に携わる中で、次第に自己矛盾を感じるようになりました。自分の専門はどちらかというと高齢者を診ることが多いです。高額薬剤で高齢者のケモをしたりしていると、
    「これが本当に社会にとって意味があるのか」と考え込むことが増えてきました。目の前の患者や家族にとって意味のあることは分かっていますし、だからこそベストの治療を提供しますが、昔から抱いていた「高齢者医療の負担のあり方」への疑問が積み重なり、提供する医療の意義を再考するようになりました。

  2. 臨床に飽きてきた
    若手のうちは資格取得や知識を深める段階で楽しさがありましたが、一定の経験を積むと新鮮味が薄れてきました。新しい薬剤やデバイスが出てくると楽しいは楽しいですが「単に薬や機械に頼っているだけじゃん」と思うことが増えてきました。内科医だから余計そう感じるのかもしれません。もちろん薬やデバイスを使いこなすのも医者の力量だということは理解しています。ただ最前線で最新治療にあたる意義を感じつつも、モチベーションが徐々に低下していきました。

  3. 勤務医である以上、成果は評価に反映されない
    自分はお金の計算が好きです。そのため、職業人として所属科や病院に最大限の利益をもたらすことを常に考え、患者の紹介があれば二つ返事で喜んで受け入れをしていましたし、点数や加算が取れるところは忘れず取っていくというスタンスで診療していました。迅速に適切な治療を行えば、患者や紹介元医療機関、さらにはコメディカルスタッフからも感謝されます。自分が紹介するときや仕事をお願いするときもスムーズにいきます。また、初期治療や管理が上手ければ上手いほどトラブルが減り、外来や入院の回転率が上がるなど、仕事の効率も高まります。さらに、科の収益が増えれば、病院経営陣に対する発言力も強くなるため、良いことづくめです。
    しかし、このような成果が給与や報酬体系に十分反映されない現状に、徐々にモチベーションの低下を感じるようになりました。時間外労働には従量制の給与が適用され、時間内に効率よく多くの患者を診たとしても給与面で評価されることはありません。むしろ、業務が遅れたり、管理が不十分でトラブルを起こし、結果的に時間外労働が多い医師のほうが高い給与を得るという矛盾・・・。もちろん雇用契約上、それが当たり前であることは理解していますが、仕事への意欲を維持するには少し難しい環境だと感じてくるようになりました。

  4. 職場環境の変化
    科内の居心地が何となく悪くなってきたのも要因の一つです。時間とともに自分が成長したのもあるでしょうし、上司が歳をとったのもあると思います。もともとガツガツ臨床最前線に当たっていた上司が守りに入りいわゆる口だけになりつつありました。カンファレンスなどで他の若手医師のやりとりを見ても疑問に思うことが増えてきました。もともと尊敬していた人たちとの関係性が変化し、「このままでいいのかな」と感じるようになってきました。

  5. 働く世代へのアプローチの魅力
    「さて、どうしたものか」と考える日々が続きました。
    開業という選択肢も頭をよぎりましたが、お金が好きな自分は収益を追求するのでそこに全力を注ぎ込むことが想定されましたし、人を雇って人事労務管理で悩みたくないとも思いました。開業しても結局保険診療では避けられない高齢者医療の課題もあります。ドクターコトーのようなへき地医療は最も尊敬する医師像ですが、真面目に考えると日本の高齢者医療の問題の縮図そのものです。海外での医療活動も魅力的ではありますが、家族の存在を考えると現実的ではありません。
    そんなとき、「産業医って報酬がいいらしいけど、どんな仕事なんだろう」とふと思いました。産業医に対する知識や理解はその程度の解像度でしたが、とりあえず試してみようと前期講習会に参加することにしました。すると、予想以上に面白そうで、魅力的に映りました。特に「働く世代にリーチする」というのは当時の自分に強く刺さりました。

  6. 収入と労働負荷のバランス、家族との時間
    病院勤務は比較的ホワイトでしたが、産業医のほうが労働負荷が少なく、休みも多いという点に魅力を感じました。家庭との両立を考える中で、産業医の働き方が自分の理想に近いと感じました。

病院内で産業医部門を立ち上げようとしたが…


一度は病院内に産業医部門を作ろうと試みました。企業と連携し、働く人々の健康を支える産業医部門があれば、病院としても新しい患者層を取り込むことができるし、企業側にとってもどこの誰かもわからない医者が来るより地域の総合病院のまともな医者が派遣されたほうが安心できるし、win-winと考えたからです(神栖が似たようなコンセプトでやっていますよね)。しかし、公立病院で産業医に対する理解が薄く、いち平社員の自分の立場では話を進めることができませんでした。この経験をきっかけに、個人で産業医として活動する道を模索するようになりました。

(産業医への転職プロセスや具体的ステップ、臨床医から産業医へのギャップやカルチャーショックなどは別記事にまとめようと思います)

最後に

最後に、綺麗な言葉でまとめるならば、産業医への転職は臨床現場で感じていた疑問やモチベーションの低下を埋め、新たなやりがいを見つけるための前向きな選択でした。
ですが、本音を言えば、この国の医療制度には「バグ」が多すぎます。頑張っても報酬に反映されにくい仕組み、保険医療の枠を外れたほうが待遇が良くなる逆転現象……。こうした現実に気づいてしまうと、なんだか「真面目にやるのがバカらしい」と思ってしまう瞬間もあります。
結局、産業医という選択肢は、制度の歪みを嘆きながらも、医師としての新しい価値を見いだせる道のひとつだったのかもしれません。

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