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スーパービジョンを考える(2024年度第6回産業OD勉強会)
2024年度第6回産業オープンダイアローグ勉強会を2025年2月27日にオンライン開催しました。参加者は5名でした。今回も前回の勉強会の続きで、フィンランドのダイアローグ資料を題材にする予定でしたが、チェックインである参加者が職場でのスーパービジョンについてみなさんの考えを聞きたいとコメントがあったため、内容を切り替えました。この辺の柔軟さ(ゆるさ)は当研究会の特徴です。
▼スーパービジョンを考える
参加者5人とも経験の差はあるもののスーパーバイザーの経験があるため、話は随分と濃いものになりました。
例によって誰か偉い人が答えを出すのではなく、参加者それぞれが自分の思うところを言葉にしてみるという形で進みました。私は先日読んだ「ダイアロジカル・スーパービジョン」(遠見書房)の一節を思い出し、「職場の管理職としてのスーパービジョンと職場全体を外からサポートするスーパービジョンの2つの形態があるかもしれない。重なる部分もあるが別々の意義があるのではないか」といった話から始めました。現在、私は立場上、管理的立場からSVを行うことはほとんどありません。ラインケアからは離れた形でのSV、あるいはコンサルテーションを行っています。
▼私はSVで何をやっているのか
実は数日前、Facebookにスーパービジョンの話を少しだけ書いていたのです。その記事を画面共有して説明しました。一部をご紹介します。
不定期ですが業務外で何人かの支援者のスーパービジョンを行っています。
自分はSVの仕事が一番合っているのかなと思う一方、こんな私をバイザー(Superviser)に選んでくださって恐縮ですという思いもあります。
やっていることはバイジー(Supervisee)が気づいていないグッド・プラクティスの発見を通したエンパワーメントと、別の見方の提供(選択肢を増やすこと)でしょうか。オプションとして、繰り返してしまう自分の関わりのパターンに悩んでいる場合は、その対処のヒントとして交流分析の脚本分析が役に立ちます。
<中略>
ちなみに診療でも産業医面談でも私のスタンスはSVと違いがありません。SVでは打てば響くように話が展開するのでとても楽しいのですが、診療でも産業医面談でも、「相手の可能性を探る」という意味ではやっていることは同じです。やりがいのある作業ですし、その状況から抜け出るお手伝いができた時の喜びは大きいですね。やはり人の話を聞くのは楽しいんです。
▼SVは笑顔で終わる
私のSVの基本姿勢はこんな感じですが、ご指名でSVを頼まれるので、基本的には1対1です。でも、OD勉強会を主催している立場からは、本当は2(以上)対1のSVを行いたいのです。その方が絶対にいいアイデアが出る。でももう一人を確保するのが大変(日程面と金銭面)。結局、旧来の1対1のSVを続けざるをえないのが現状です。
私のSVの特徴を挙げるなら、笑顔で終わることでしょうか。よその話を聞くとSVは辛い、泣いてしまったというようなことも起こるらしいのですが、困っている人(バイジー)を追い詰めてどうするんだ?と私は思います。困っている人が明日から自分の力を発揮できるように手伝うのがバイザーの仕事ではないのか。「その介入をしたらクライアントや周囲の人、あるいはあなたに危害が及ぶ」と懸念される時はさすがに言います。でも、「それはやめたほうがいいよ」みたいに実際に言ったことはほとんどないと思います。代わりに、「どうしてそう考えるの?/そうしたの?」と聞いていくと、それなりの目的があったりします。そういう見方をした場合の展開を一緒に考えていく。すると自然と収まるところに収まります。バイジーがケースで行っている「(バイジー自身が気づいていない)いい関わり」を探していく作業が私のSVですから、楽しくないわけがないのです。
▼驚くこと
もう一つ大事にしていることは、バイジーの実践に驚くことです。「よく気づいたね!」「よくそんな風に言葉を返せたね」「あなたに巡り会えたことはクライエントにとっては宝物じゃない?」というような言葉をよく使っていると思います。わざと驚いているわけではありません。「すごいな!」「何というタイミング!」とビックリするから言葉にしているのです。バイジーはそんなこと当たり前だと思っているかもしれないので、いやいや、それ凄いことでしょ!って気づくのがバイザーの役割ですよね。そして「ビックリする感性」は失わないようにしていきたいものです。
ほめ言葉の3つのSと呼ばれるものがあります。「すごい!」「さすが!」「すばらしい!」の3つです。10年くらい前になりますが、日本ほめる達人協会の西村貴好さんのインタビューが朝日新聞に載った際に見つけたのです。この言葉をよく使うようになって面接が本当に楽になりました。
もう一人、似たように考えている人がいました。篠原信さんです。この方は「ほめるよりも驚く」ということを以前から書かれていました。前記3Sも私の感覚ではほめるよりも驚くに近い。篠原さんはかつて塾を経営していましたが、子どもと接する中で「驚く」ことの重要性に気づかれたようです。
▼グループでの緊張
こんな調子で、参加者それぞれが心に浮かんだ言葉を並べていきました。ある参加者から、SVグループに参加する時に緊張するっていう人がいるんだけど、どうしたらいいだろう?という話が出ました。みんなの前で評価されたり注意されたり恥をかかされるから怖いのか、みたいなコメントが出ました。私自身、グループにずっと苦手意識があったので、家族や会社の人を呼んで合同面接する時なんかはグループみたいになる時があって、5人くらいまでは大丈夫だけれど、それ以上になると、参加者が視野に入りきらないから、何をやっているのか見えない、それが怖いのかもしれない、と言葉にしてみました。そう言葉にしてみて、そうか、よくよく考えてみると自分が参加者の時は別に緊張しない。ファシリテーターなどその場をまとめなきゃいけない立場になると緊張するんだ!と気づきました。
▼ここ数ヶ月もやもやしていたことを言葉にしてみた
残り時間が20分を切った頃です。「緊張」ということから思い出した出来事がありました。「私ばかり話しているようで申し訳ないけれど、もう少しいい?」と断って、数ヶ月前にある学会のシンポジウムで経験した「緊張」の場面について言葉にしてみました。その件はそのうちnoteに書こうと思っていたのですが、いざ書こうとなるとどうしても書けない。何度か試そうとしたのですが、書けないのです。それを話してみたくなった。これこそがナラティブ・セラピーいうところの「いまだ語られていない物語」ですね。「いまだ語られていない物語」とは、誰にも語ったことがない物語だったり、語りたいと思っているが語る機会がない物語だったり、聞いてくれる人なんかいないと思っている物語だったり、自分の中でまだ物語として成立していないものだったりします。今回、わかってくれる人たちに聞いてもらえたということで何か肩の荷がおりた気がしました。
▼共感できない/対話ができない相手とどう対話をしていくか
そうやって話してみたら、今日ある参加者がチェックインの際に教えてくれた、「共感できない/対話ができない相手とどう対話をしていくか」という言葉にたどり着きました。その方は、つい最近、NPACCという団体が主催した「共感できない/対話ができない相手とどう対話をしていくか」というイベントに参加されて、全然ナラティブじゃなかったけど、とても面白かったと報告してくれました。イベントに登壇したのはアクセプト・インターナショナル代表の永井陽右さん。彼は紛争地域に乗り込んで、テロリストたちと対話を試みるのです。テロリストたちも一人の若者。相手も人間だ。わからないはずはない。一方で、わからないのが当たり前。圧倒的他者なのだと考えて向き合っていくのだそうです。すごい人がいるものだ。
そうか、私は学会でショックを受けたけれど、違う分野で別のことをやってきたのだから、「圧倒的他者」と考えてみたらどうだろう。その人はその人で背負ってきたものがあるはずで、初めからわかるはずがない。私の方で勝手に「わかるはずの人」と思ったからショックを受けたのだ。「圧倒的他者」と思って話を聞いていけば、どこかにたどり着けるはず。オープンダイアローグの「不確実性への耐性」、あるいはネガティブ・ケイパビリティを思い出し、振り出しに戻った気分でした。
ということでとても実りの多い時間を過ごさせていただきました。参加者のみなさま、ありがとうございました。
2025年度も偶数月の第3または第4木曜夜のオンライン開催を予定しています。