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学会報告:自殺予防学会2024(埼玉)
私が司会を務めた公開シンポジウムについては詳しい報告を行いましたが、学会自体も参加しましたので報告します。
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第48回日本自殺予防学会総会
日時:2024年9月13-15日
会場:埼玉会館
テーマ:多様な職種と社会で築く“自殺予防”
https://www.mcmuse.co.jp/jasp2024/
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▼自殺予防学会に入っていなかった
私は筑波大学卒業後、そのまま社会医学系大学院に進学し、稲村博先生にお世話になりました。稲村先生は日本のいのちの電話の創始者の一人であり、自殺学の大家でもあります。医者になってすぐ、研修も兼ね、いのちの電話に関わるようになりました。そんな経緯で1991年から埼玉いのちの電話の相談員研修に携わるようになり、現在に至るまで「自死予防」について講義を担当しています。白状すると、初期の研修では稲村先生の大学の講義資料をかなり使わせてもらっていました。その後かなりアップデートしましたが、稲村先生がいのちの電話の活動を通して築き上げた「心の絆療法」の話は今でもしています。
でも、実は今まで自殺予防学会に入っていませんでした!関係者のみなさま、ごめんなさい。というのは、精神科医として自死問題は避けて通れませんが、「自殺を専門に研究しているわけではないし…」という思いがどこかにあったのです。今回シンポジウムを担当することになり、やっと入会した次第です。そして大会2日目午後に、翌日のシンポジウムの会場である大ホールの下見も兼ねお邪魔しました。
▼合同大会シンポジウム「安楽死・尊厳死について考える」
今回は自殺予防学会と臨床死生学会の合同大会だったのですが、実は昔は一つの学会でした。自殺予防学会は1970年に発足しましたが、座長の張先生によると80年代に入りガンの告知やターミナルケア、死生学などが注目されるようになり、1995年に自殺予防学会から枝分かれする形で臨床死生学会が誕生したのだそうです。自殺予防学会は自殺予防に徹する学会として存続し、死の問題を中立的に学際的に広く考える場が臨床死生学会になったとのことです。両方に所属する先生もいらっしゃいますし、今回のように合同で大会を開催することもあるようです。
さてシンポジウムテーマの安楽死・尊厳死ですが、今までたまたまこの問題に取り組むことがなかったため、テレビなどで特集が組まれたりすると観ることはありますが、あまり深く考えたことはありませんでした。生命倫理学の立場から香川知晶先生、娘さんが重度の障害を抱える立場から児玉真美先生、がん緩和ケアの立場から石谷邦彦先生、尊厳死協会の立場から野元正弘先生が、それぞれのお考えを話されました。一つひとつのお話に深く納得し、この問題の関わる広さと奥深さを実感することとなりました。座長の張先生を初めとする各先生方、貴重なお話をありがとうございました。
▼ワークショップで気づいた「いざ話そうとなると話せない」経験
そのまま大ホールに残り、影山隆之先生、石塚里沙先生、田中生弥子先生による「学校での自殺予防:教育と研修の実際を知る」というワークショップに参加しました。いのちの電話相談員の研修を担当している立場からも、自殺予防活動の話は聞き逃せません。
文部科学省が2009年に公開した「教師が知っておきたい子どもの自殺予防」などの資料を元に、学校現場で実現可能な60分プログラムは実用的と感じました。そしてその流れで、お近くの席の方とロールプレイをしましょう、ということになりました。少人数で行うワークショップと違い大ホールでロールプレイとなると、傍観者になってしまう方が多いのですが、シンポジウムの関心が高かったからか、みなさん積極的に参加されていました。
階段状の客席で前後左右の人5、6人でグループになったと思いますが、私が希死念慮を告白する生徒役になりました。
さて、ロールプレイスタート。教師役の方から声がかかります。そして話そうとしたのですが、言葉が出てこないのです!確かにロールプレイをやるなんて知りませんでしたし、ロールプレイをやると聞いても自分が生徒役をやろうと考えながら集まったわけでもありません。何をしゃべるか考える時間などありませんでした。それにしても、いざその場面に身を置き、その役になりきってみると、何から話していいかわからなくなったのです!
これが当事者が置かれている状況ではないでしょうか。特に深刻な話題ほど、どう切り出していいかわからず、どんな言葉を発していいか、わからなくなるのではないでしょうか。
特に医者はそうかもしれませんが、診察に来た人は自分の困っていることを話すのは当たり前と思っているはずです。自分で来たのですから。でも、そうであっても、何から話していいか、考えがまとまっていない人などもいるはずです。ある高名な精神科医は、「患者は噓をつく」という言い方をしました。その言い方はどうかと思うのですが、患者さんが最初に訴えることは本当のことではないかもしれない、という視点を持って向き合うべきということをおっしゃりたいのだと思います。この先生は自分のことをわかってくれるだろうかとか、こんなことを言ったら笑われるんじゃないかとか、そもそも自分が何に困っているかうまく言葉にできず、とりあえず当たり障りのない話から始めてしまったというようなことは、珍しくないと思うのです。つかの間の当事者体験をしてみて、改めて考えたことでした。
ホールの雰囲気を味わい、翌日の公開シンポジウムのイメージを膨らませながら帰路につきました。