【中級者向け解説①】異教について

0.目次
1.異教という概念について
2.異教の原理とはとのようなものか
3.三合連の世界に生きる人間の異教への関わり方
4.果ての異教者(異教死
とは

1.異教という概念について
三合連の巣喰う世界における「人智を超えた力」である。
それは人間が異教の力を目撃した際に与えられ、人と神に奇妙な縁が結ばれるのだ。これこそが異教の縁である。しかしながら異教との深淵さはその人間の異教を扱う能力にはまだ関係しない。
異教の力はその由縁たる存在(神、超越者など以降は「神性体」とする)の名や威光についてを魔術書や伝聞を通して理解した際に扱えるようになる。
人間側の視点で解明されている一般的な異教の力の作動原理であり、本質ではない。しかしながらこの説明でも異教が深くなる理由と力を扱えるようになる要因については説明可能である。
次項では神性体はなぜこのような縁を人と結び、人に力を与えるのかを解説する。


2.異教の原理とはとのようなものか
神性体は基本的に霊体や固有の形を持っていない、または既にその固有肉体損失している。
そのため固形の生命に記憶されなければ存在を保てないのである。少し難しい話であるが、一つの例を基に考えてほしい。
仮に生命が地球上の人間しか存在しないと仮定し、その人間すべてがある存在について名前や歴史、または効果、性質を何一つ知らない状態とする。この時、その存在が何者であるのかを説明できる生命は存在しないことになる。このような状態の存在は固有性を喪失しており、個としての死も同然である。
この世界に存在している、神性体や霊体、概念存在などもこれらと同様の死と隣り合わせであり、個としての存続のためには形を持った生命体に記憶されることが必要なのである。そのために必要なことは「人間と異教の縁を結び、その恩恵を理解させる」ことである。この時に人に与えられる恩恵は、神性体を記憶する事への対価であり、その人間が異教を扱うことで、新たな人間と縁を結ぶきっかけを生み出そうともしているのだ。
しかしながらこれは神性体側の都合であり、多くの異教に触れる人間は知らないことである。

3.果ての異教者(異教死とは
異教とは神性体との縁によって与えられるものであり、底知れぬ力と魔性の魅力を秘めた賜りものである。適度に使うことで人外の力を持って困難を打破し、尊き者を救う手助けとなる。しかしながらその均衡を乱し、異教の深みへと落ちていけば、もはや救えぬ者となるだろう。なぜなら所詮それは本人の素質や才能とは別の力でありながら、人智を超えた領域との奇縁に過ぎないのだから。
一例として果ての異教者の末路を羅列してみよう
Case1.発狂による精神病棟送り
Case2.人の暮らしに違和感を抱くようになり、人里離れた地で孤独に過ごす。
Case3.異教の力に魅かれ、自らの力を深め、その力で人類に牙をむき脅威となる。
Case4.神の眷属として、その身をささげる。人ならざる異形となる。



4.三合連の世界に生きる人間の異教への関わり方
三合連の世界における関わり方は大きく分けて二つしかない。
受け入れるか、拒むかである。
受け入れることによって敵と戦う力となり得るため、敵対分子や部外者といった存在が特に異教の深みを探求する事がある。しかしながらその器量に見合わない力が自身を破滅に導くこともある。異教の深みに浸かり切り果ての異教者となり、人類の新たな脅威ともなり得れば、人知れぬ秘境に籠り、超越者への道に至ることもある。いずれも今までの人間の暮らしを捨てて人外としての道を進む事に他ならない。
反対に拒む道は人間としての道を歩み続ける選択である。異教に遭遇した記憶を記憶の深層に封印し、それを勘違いや幻覚であったと解釈する事によって異教の縁を薄める事も僅かながら可能だ。
しかしそれも容易にはいかないだろう。異教の縁とは本人の意識に関わらず、神性体の側が遭遇を起因として勝手に結ぶものだ。たとえ拒もうとも繰り返すほどにその縁は確固たる記憶として定着し、消し去ることは不可能となっていく。異教を拒み続け、辛うじて日常に帰るものと、拒もうとも異教に呑まれ、人として破滅していくものもいる。どのみち異教とは、生涯関わらないで済むよう神に祈る他ないのだろう。

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