【中級者向け解説③】三合連(歴史)について
0.目次
1.三合連の歴史(三合党会~傭兵隊発足)
2.三合党会の密約
3.傭兵隊会議と范帝の即位
4.帝政三合連の時代(三合党会の内部分裂と三合連の完成)
5.21世紀三合連「三合連の巣喰う世界」
1.三合連の歴史(三合党会~傭兵隊発足)
15世紀終盤の中東地域。三合連の前身組織は三合党会と呼ばれる商隊組織であった。取引物は布であった。ニスルと呼ばれた少年がその隊長であり、それ以外は何の変哲もない組織であった。組織に変化がもたらされたのは東方の旅人「ジンの飛空艇師」とその弟子アリムが三合党会に加わったことである。彼こそが三合党会の力の根源「飛空艇の生成技術者」であった。この時代の三合党会はジンと呼ばれる魔人の一種を原動力として浮遊する飛空艇を保有していたとされる。飛空艇はもはやロストテクノロジーとなったが、彼らはその技術力を買われ、幾たびの戦争に駆り出された。その対価として彼らはオスマン帝国よりシルクロードを永久非課税で通行する権利を保有していたのだ。それ故に迅速に移動し、幅広い交易版図を保有していたと三合連の伝承には記載される。これが後の時代に三合党会傭兵隊の発足の原因となるのだ。
時は進んで20世紀、1942年。第二次世界大戦の勃発により、枢軸国と連合国(アメリカ、ソ連、イギリスなど)が交戦していた。連合国はドイツの強大な軍備の前に手を焼き、また一方では大日本帝国の異教軍備にも手を焼いていた。
このまま両者を相手取り続けても、敗戦は時間の問題であった。
そこで連合国は秘密裏に対談した。対談の目的は対ドイツ戦に集中すること。そのためにその期間に大日本帝国と戦争をし、ドイツ降伏までの時間を稼げる組織を求めていた。
その時に「三合党会とその人脈網」に白羽の矢が立った。
三合連は様々な国に人脈を保有し、傭兵組織を編成する事が容易であった。
連合国は直ちに三合党会に電報を送り、三合連側の外交官としてフィリップテーラー(後の三合連四頭「鄭族の大翁」である。)が派遣された。三合党会はこの共闘に対し肯定的であった。その理由は大日本帝国の版図拡大は三合党会の行商領域をひどく浸食するという問題があった背景がある。ここに「対ドイツに集中したい連合国」と「行商領域を日本から守りたい三合党会」の間に利害が一致していたと言われている。よってフィリップは三合党会の代表者として連合国側の共闘声明に合意した。翌年1943年に三合党会が世界中に持つ交易網からおよそ20万人の人員を動員、軍隊を編成し大日本帝国に宣戦布告した。これらは後に「三合党会傭兵隊」と呼ばれることとなる。約二年にも及ぶ傭兵隊の抗日戦線は中東の際において徹底抗戦を続けた。そして1945年5月、ついに連合国はドイツ降伏を達成し、大日本帝国を追い詰める。傭兵隊は連合国の後ろ盾を得て大日本帝国に行っていい攻勢を仕掛ける。中国領内を次々と奪還し、満州国を陥落、更には大陸に残る日本軍は排斥したのだ。
こうして三合党会傭兵隊と連合国の共闘は、枢軸国の敗戦という快挙を成し遂げた。三合党会傭兵隊はこれにより解散となり、戦場の絆をお互いに抱いたまま彼らは各々の国に帰還する事になる。その傍らに大日本帝国が大陸に残していった莫大な軍備を携えて……
2.三合党会の密約
傭兵隊解体後、三合党会の旗は世界中で掲げられた。三合党会連合結社を名乗る軍団が戦後の動乱の中で紛争を起こしたのだ。なぜこのようなことが起きたのだろうか。それは傭兵隊結成以前に三合党会と参戦メンバーの間で交わされた「連合国も知らない密約」に起因する。
密約の内容
「三合党会の傭兵隊として抗日の軍隊に参入すること。その対価として戦後に三合党会及び同盟植民地及び同盟民族は全体結託の下に植民地の解放と民族の自決を成し遂げる武装蜂起を行う事。そして以降永久に列強の脅威によってその独立と自由を阻害されないために結託する連合組織の発足を行うことを誓約する。」
この密約こそ「三合党会連合結社発足案」である。
傭兵隊として参加したメンバーのほとんどがアフリカ、アジア、南米などの地域に属していた。そのため列強による植民地支配や自治を認められていない民族が大半を占めていたのである。三合党会とそのような国々はこのような現状を打破する事を目指した。そして未来永劫に渡り独自の行商連合圏を創造し共和と武力と資金源によって列強による侵略と統治から解放されることを思想の根幹としていた。戦後世界中で同時多発的に発生した武装蜂起の原因は、三合党会の密約と傭兵隊メンバーの野望に基づくことであった。
この傭兵隊のメンバーを前身とする民族独立機構「三合党会連合結社」
それこそが「三合連」である。
世界には彼らを止めるだけの力はなかった。
列強を中心とした20世紀世界は既に二度にわたる大戦の時代を終え、完全に疲弊しきっていた。更には此度の武装蜂起が世界同時多発していたこと、勢力を分散してまで事の終結を図ることは危険と判断されたのだ。つまりこれ以上の戦争に舵を切ることを恐れたのである。それ故に戦勝国の数々はこの武装蜂起への介入を拒み、植民地の放棄と独立の承認という選択をとった。結果として、世界で幾数にも及ぶ植民地が撤廃され、数十もの民族が解放されることとなった。
しかし痛手ではあったものの、列強諸国からすればその時点での三合連は世界への脅威たり得るものではなかった。結局は三合連は複合民族連合であり、言語も宗教も何もかもが異なる存在であるからだ。彼らの連結を保っているものは「抗日軍として傭兵隊で戦った者たちの絆」に過ぎなかった。絆とは当事者同士の縁、いくら熱弁をしようとも次世代に継承できないものであった。これこそが三合連の抱えた問題点であった。三合連という組織が向こう百年以降も存続し続けるためには「別の求心力」によって複数民族、複数思想を連合させる必要性があったのだ。
3.傭兵隊会議と范帝の即位
1950年 中東トルコイスタンブール「第一回傭兵隊会議」開催
三合党会傭兵隊の主要メンバー630名に集結
三合連の行く末を決める重要な会議が開かれた。
会議の主題は「三合連全体をまとめる求心力」の提案を行うこと。三合連の行く末、民族と小国が再び列強の支配と統制を逃れるための組織永続化の名案を話し合った。
しかしながら意見はまとまらず、いたずらに時間だけが過ぎていった。
その時であった。三合党会の主要人物であり、三合連の一次団体「新疆支社」の総長エウヌークがこのような提言をした。彼は傭兵隊の英雄であり、三合党会の宿老、そして傭兵隊最強の異教者でもあった。彼の言葉とはまさに英雄の金言であり、全ての構成員が一斉に耳を傾けるほどの価値を持っていたのだ。
「三合連の求心力としての偶像的統治者、皇帝の座を設ける事。そして思想と教理を作成し、次世代を担う者たちを教育し、架空の皇帝を敬い、崇拝するよう仕向けることはどうであろうか。」
その案に対し「香港支社」の代表フィリップテーラー、そして傭兵隊の英雄であり聖職者「デモン4世」が賛成。続くようにして傭兵隊のメンバーは次々とその発言に同意した。三合連の永遠普遍的な統治において意思なき皇帝の位が必要であったとされる。
これにより三合連の求心力として「范の皇帝(規範たる帝)」の位が生まれた。これが三合連皇帝「范帝(ハンダイ)」の誕生である。
4.帝政三合連の時代(三合党会の内部分裂と三合連の完成)
20世紀後半に突入し、三合連は弱小ながらも確固たる勢力として世界中に存在した。世界はその組織の存在を黙認した。時代はカルトの根絶に手など回せない冷戦の時代であった。当時三合連を根絶させ得たであろう国々は、東西に分かれていがみ合うばかり。三合連の崩壊など考えてもいなかった。両陣営は代理戦争を繰り返しながら牽制を続け、多くの者の命が奪い去られた。このような冷戦の禍根においてまともな軍備も保有してはいない民族解放機構の存在など霞むほどのものに過ぎなかったのだ。
しかしながら、冷戦下の代理戦争の影には、三合連は常に傭兵軍としての軍事介入し暗躍を続けた。
この頃、三合連の創設から10年近い年月が過ぎていた。この頃には三合連の組織構造は大きく変化をしていたのだ。「四頭」と呼ばれる4人の三合連の権力者が生まれたのだ。彼らは架空の象徴であったはずの范帝の存在を主張し、その教理教説を絶対のものとして三合連のメンバーに誇示した。四頭は范帝の思想の代行者として三合連のナンバー2たちとなり、世界各地に存在する様々な傭兵隊組織を統制し始めた。
このような暴挙に対し当然反対派は数多く生まれた。本来次世代の求心力以上の意味を持たなかった范帝が、突如三合連はおろかそれ以前の傭兵隊のメンバーの絶対的な命令系統となったのだ。これは弱き民族の共同共生と列強という権力の排斥と矛盾したのだ。
これは三合連創設の密約に対する裏切り行為でもあったからだ。そして三合連の中から「三合党会傭兵隊」が再編成され、范帝を擁立した四頭ら「三合党会連合結社」に宣戦布告された。この時「傭兵隊」は四頭直々に范帝の敵対者とみなされ「敵対分子」と呼称されることとなる。「聖戦」と呼ばれた戦争が一年ほど続いた。新疆支社のエウヌークを筆頭とした処刑隊が編成され、傭兵隊を次々と粛清して回った。聖戦の行く末は、范帝の禁軍と呼ばれる三合連最強の「異教者兵団」が傭兵隊の主要派閥を根絶し、その強靭さと不滅の軍団を目撃し、范帝とは真に神であると確信する者が後を絶たなくなった。その異教に魅かれ三合連と范帝の理想に従うもの達となった者も多くなる。こうして三合連は范帝を崇拝するものと、力の前に屈し又は魅了され従属したものが生まれ、范帝と四頭を中心とした三合連帝国体制「帝政三合連」が始まり、21世紀の三合連に繋がっていく事となる。
5.21世紀三合連「三合連の巣喰う世界」
冷戦の時代の終結。ソ連崩壊。その背景に帝政三合連がいた。
1992年、ソ連領ウラジオストック。
范帝率いる禁軍「八旗」がソ連軍と全面衝突した。一晩程度続いた戦争は三合連の圧勝に終わった。
この知らせは世界中に広まり、信頼は暴落。これがソ連崩壊の最後の一押しとなった。しかしその知らせよりも三合連という国家ですらない集団が、一国の軍隊を一晩で蹴散らした事実。これが世界を震撼させ、同時に世界の覇権であったアメリカにも危機感をもたらす事となる。半世紀にわたり傍観してきた三合連は、非国家でありながら大国を揺るがすだけの存在
「世界への脅威」となった。
世界中の紛争に介入し、諸国に根を張り、三合連につき従わないマフィアを根絶し、大戦に並ぶほどの死傷者を生み出した。
そしてその家族、友人、恋人、様々な縁で結ばれた者たちは三合連を憎んだ。彼らの中から三合連と范帝の理想を打ち滅ぼすべきと考える思想が生まれた。
それこそが敵対分子の起源である。
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