1-1 仕事から第1子出産、母乳至上主義においつめられる

●「24時間戦えますか?}

 私は大学を卒業後、マスコミに入社し、文字通り「24時間戦えますか?」な環境で働いていた。今でこそかなり是正されたものの、朝6時から働き、日中に普通に勤務し、夜は会社で当直し、そのまままた1日働く(翌日は休みではない)、そういった生活をしていた。医療業界でも多いような働き方だ。

 体力には自信もあったし、どちらかとおざっぱで豪快な性格だと思われている。仕事はきついところもあるが好きだ。これは、よくマスコミで働く人間に多い気がするのだが、「使われないやつ」と思えるよりも「お前を行かせて、お前に任せてよかった」と思われたい心理はあったと思う。この仕事に対する私のスタンスは、のちに臨床心理士のもとで受けた心理試験にも如実に表れていた。

 30半ば頃に希望どおり第1子にも恵まれたのだが、ここでそのお産と母乳至上主義にメタメタにやられたことを振り返る。

●「母乳至上主義」のドグマ

 私は、周産期医療を題材にした大ヒットコミック「コウノドリ」(TBSがドラマ化)の大ファンだ。

 「妊娠・出産は何があるかわからない」 という考えを持っていて、分娩は、周産期母子医療センターでもあり、NICU(新生児治療室)もあるような、緊急時に母体救命もできる体制のある病院を選んだ。第1子の際は「陣痛」がどんなものか体験してみたかったし、自然分娩を迷わず望んだ。選んだ総合病院は、母乳育児総本山のような病院で、陣痛促進剤もなるべく使わない方針。病院関係者いわく「助産師の力が強い」というがまさにその通りだった。妊婦が妊娠後期入ると病院に提出するどういうお産を望むかを書く「バースプラン」にはこう書いた。

 「なるべく自然に産みたい。母乳で育てたい」と。

 自然に産んで母乳で育てるのがいいこと、という思い込みがあったことは確かだ。陣痛は人それぞれだが、私は恥骨周辺がぎりぎりと押しつぶされそうな痛みで、これまで生きてきた中で最強で最長の筆舌しがたい痛みだった。陣痛中に私はものすごく後悔してこう考えていた、というか付き添いの夫に言っていた。

 

「次を産むときは絶対に、『無痛分娩』にする!」と。 

 無事に出産をしたが、大きな誤算があった。母乳の出が想像以上に悪かったのだ。2日たっても一滴も出ない。身体はお産の後の全身の痛みと、数時間起きの授乳でくたくただったが、ここは母乳推進総本山。 明るく助産師が言う。

 「藤田さんの赤ちゃんは、3000gを超えていてお弁当しょって産まれてきているので大丈夫。とにかく1分でも長く乳首を吸わせてね!」

 母乳の出ない乳首を懸命に吸おうとするわが子を前に「なぜ、おっぱいが出ないんだろう・・」。次第に涙があふれてくる。何気ない一言に心のひだが、過剰に反応する。

 「おめでとう。初乳をたっぷり飲ませてあげてね」という友人ママからのメール。

 「私の時は、出産した直後に分娩台でもう母乳が出ていたのよ」まったく悪気のない義母のひとこと。すべてが私を追い詰めていった。

 赤ちゃんの免疫獲得のためにも、初乳(産後1週間くらい出る黄色い乳汁)の大切さはよくわかっている。わかっているよ、でも出ないんだよ。授乳ルームでおっぱいをあげている他のお母さんや、ふんだんに母乳が出るからと搾乳機で母乳を絞っている他のお母さんをみて、自分が「欠陥品」で「母親失格」のような気がして涙がこみ上げくる。

 さすが母乳育児に力を入れる病院だ。みかねて、「母乳分泌を促すため」に、鍼灸師を手配してくれた。

 「いいのよ、ゆっくりやっていけば」

 60代くらいの女性鍼灸師の言葉に、声を押し殺しながら泣いた。カーテンを隔てて、シュコシュコと搾乳機の音が響いていた。

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