キック王者のち医師ーー倒産する出版社に就職する方法・第52回
2004年11月5日、昼下がりの池袋・ホテルメトロポリタン。
1Fラウンジに陣取ったわれわれは雑踏の合間を縫い、入口に目を凝らしていた。
「来た。あいつだ……」
横に座ったH社長(H社長については連載第7、8、17、18回あたりを参照)がそうつぶやき、私に目配せをする。
小柄だが、目つきのするどい男が周りを見渡しながら入ってきた。肌は浅黒く日に焼け、Tシャツの上からもその体が相当に絞り込まれていることが見て取れる。
「なるほど、あれがキックの元日本チャンピオンか……」
その数週間前、三五館宛に一枚の企画書が郵送されてきた。
キックボクシングの元日本王者であり、現役の精神科医であると称する手紙の差出人は、こう綴る。
「キックボクシングというリングの次は、出版というリングで勝負したい」
男の熱き思いと、チャンピオンにして医師という経歴に興味を持ったわれわれは、すぐさま男に連絡をとった。そして、指定されたホテルの喫茶店で、この日初めて会うことになる男の到着を待ちわびていたのだ。
その価値を測量でもするかのように男の佇まいに見入っていたH社長が顎をしゃくる。
「行って来い」
意を汲んだ私は、入口付近であたりを見渡す男に小走りで駆け寄った。
男のするどい眼光が私を捕らえる。
「青葉繁さん……ですね?」
「えっ!? 違いますけど……」
……。
その10分後、待ち合わせの予定時刻を少しだけ過ぎたころ、朴訥とした男性がわれわれに歩み寄り、語りかけてきました。福島弁で。
「あのぉ、三五館の方々ですか? すみません、すみません。お待たせしちゃいましたか? すみません」
これがわれわれと、チャンピオン感皆無の元NJKFウェルター級王者・青葉繁との出会いでした。
「劣等感を抱える多くの人、特に子どもたちに勇気を与える物語」
青葉氏とわれわれの本づくりがその日からスタートしました。
このチャンピオン、日常会話の接頭語と接尾語にはたいてい「すみません」を挿入するほど腰の低さには定評があるのですが、その一方でこうと決めたら鬼気迫る勢いで突き進みます。
書籍制作時の合い言葉は「500万部売りましょう!」です。目は本気です。「ムリっしょ」なんて言えますか? 相手はキックの日本王者ですよ。キックボクシングはヒジありです。ヒジだけはご勘弁願いたい。私も「500万部売りましょう!」と応じます。500万部がどこから来たかはわかりません。人間だってどこから来たかわからないのだから、あんまり気にしないほうがいいのです。
劣等生だった少年が一念発起してキックボクサーを目指し、脳の病気を抱えながらチャンピオンになり、さらに医師にもなってしまうという自伝を一気に書き上げ、『ドクター・キック』として刊行したのが2005年3月です。
(紙幅がないので同書の売れ具合については省略。ええ、あくまで紙幅がないのでご勘弁願いたい)
以来、14年のときを経て、都内で精神科クリニックを経営する青葉繁氏から連絡がありました。
「ひとり出版社、やるんですね。じつは私もひとりクリニックやることにしました。看護師も事務員も一人もいないクリニックです。たぶん史上初じゃないですかね。聞いたことあります?」
『ドクター・キック』の前ソデに、私が本文から選んだキャッチコピーがあります。
――「お前ができるなら、俺だってできる」
誰にでも与えられた可能性は同じだ。――
(つづく)