そこに行けば会える人
その会社に勤めていたとき、昼はいつも一人で食べた。
最初はお弁当を持って外に出て、少し歩いたところにある公園のベンチで。
公園は静かでゆっくりできて気に入っていたけれど、冬になると寒さが厳しく外で食べるのが難しくなった。
それでも会社の休憩室を使うのがどうしても嫌だった私は、昼休みに過ごす場所を求めてふらふらさまようことになる。
近くに飲食店はあったが出費をおさえたかったし、お昼時はどこも混んでいて落ち着かない。
それで最終的にたどり着いたのがビルの非常階段だった。
私が勤めていたところは高層ビルの18階にあり、移動するのはいつもエレベーターを使っていたから階段の存在なんてすっかり忘れていたけれど、廊下で緑に光る非常口のサインの下、鉄のドアの向こう側にはちゃんと階段があった。
ちょうど廊下を歩いていたときに、電話をしながら人目を避けるように非常ドアの内側に入っていく人を見つけて、思いついたのだった。
あそこなら屋内だから天気の心配もないし、いくつか階数をずらせば会社の人に出くわす可能性も低そうだ。
ようやく落ち着いて休むことができそうな場所を見つけられた私は、すごくほっとした。
そしてある日階段を上った先で、あのひとに出会った。
★
あの日は大変な日だった。
朝から上司にキツいことを言われて、ひとりで泣きそうになりながら仕事をこなして。
やっとのことでお昼のチャイムが鳴った時、本当はすぐに帰ってしまいたかったけれど当然そんなことはできなくて。
定時までの時間を思うと長すぎて、また気が滅入った。
食欲はなかったけれど、とにかくどこかに移動しようと思い、いつもどおり非常階段に向かうことにした。
ドアを開けて逃げ込むように中に入り、上でも下でもどちらでも良かったけれど何となく上の階に向かうことにして、階段をぐるぐる上っていく。
徐々に息が上がって苦しくなってきて、これ以上歩くのがもう無理になったところでぺたんと床にしゃがみこんだ。
目をつむるとじわっと涙が滲んできて、落ち着くまでここでじっとしていることにする。
だいぶ上の方まで来た気がするけれどここは何階なんだろうと、暗い視界の中でボンヤリ思う。
すると、
「大丈夫?」
という声が降ってきた。
びっくりして目をあけると、いかにも事務員風の格好をした、知らない女性が私のことを見下ろしていた。
「すみません、大丈夫なんです。ちょっと疲れちゃって、休んでいるだけなので」
人に見つかったのが恥ずかしくて、私はごまかすように言った。
「本当に? なんだか顔色が悪いね。無理しないで」
彼女は私の顔をじっと見てそう言うと、横に来て座った。
私は足止めさせてしまうことが申し訳なくて
「あの、私は本当に大丈夫なので、お気になさらず、どうぞ先に行ってくださいね」
と言った。
それでも彼女はニッコリするばかりで、なかなか動き出す気配がない。
そのまま特に話すこともなくしばらく沈黙の時間が流れて、内心困ったなと思っていると
「私はここで仕事をしているの」
と、唐突に彼女は言った。
「非常階段で、お仕事ですか?」
「そう。昼休みの間だけ内緒でね。まあ、副業ってやつかな」
予想外のことを聞いて、私はぽかんとした。
だって彼女が仕事をしているようには全然見えなかったから。
私の隣に静かに座って、持っているのは小さな手さげだけ。
どう見ても昼休みに出かけるのに必要な貴重品だけをまとめて、ぱっと席を立ってきたようにしか見えない。
「信じられないっていう顔をしているね。でも、あなたからしたら当然か。傍目には仕事しているようには見えないもんね」
くすくす笑いながら彼女は言う。
「えっと、どんなお仕事をされているんですか?」
「そうだね。わかりやすくいうと、占いみたいなものかな」
「占い?」
「そう、相手にとって必要な情報を与えるの。私がやっているのはそういう仕事。お昼のチャイムが鳴ったら非常階段を下りていって、その日の相手に会いに行く」
言い終えると彼女は手さげにごそごそ手を入れて、中からお弁当箱を取り出し、私に渡した。
それは私が使っているのと全く同じお弁当箱で、ぱかっとフタを開けてみると、そこにはやはり私が今朝詰めたのと同じ、昨夜の残りのおかずが入っていた。
18階の事務所の冷蔵庫に入れっぱなしだった私のお弁当を、どうして見ず知らずの彼女が持っているんだろうと思う。
「ここは36階、現実には存在しないフロア。必要になった時にだけ、来られるところだよ。それを食べて落ち着いたら、あなたは元の階に戻った方がいい」
私のお腹が、ぐーーっと鳴った。
36階で食べるお弁当はひんやり冷たくて、仏様のお供え物みたいだ。
★
お昼の12時、チャイムが鳴ると皆が一斉に移動しはじめる。
しばらくして人がまばらに静かになった頃、私もようやく席を立つ。
お弁当の入った手さげを持って廊下を奥まで歩いていき、非常階段のドアを開ける。
今日は会えるかな?って思いながら、ひとり階段をのぼっていく。