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学校行きたくないって言われた(母の葛藤と、試行錯誤と恩師の助言)

 毎朝毎朝「今日は学校休む」と、言う娘(7歳)。ピッカピッカの1年生。なんとかかんとか送り出す毎日。もはや日常。

※※※※※※※
4月は何もかもが新鮮で、ランドセルを背負っているのか背負われているのか、分からないその背中は、希望に溢れていた。
保育園は休むのも惜しいほど大好きだったし、そんな保育園からのお友達も何人もいる。4月当初は新しい目覚まし時計でさっと起きて、朝離れるのも笑顔で手を振って出ていく。

よかった良かった。

と、思った期間は、あっという間に過ぎた。月の終わり、娘は熱を出した。熱は3日ほど続き、4日ほど休んだ。程なくしてゴールデンウィーク。その頃から雲行きは怪しくなっきていた。

「行きたくない。」
と、娘がはっきり言い出したのだ。

正直言って私は、不登校に関する知識が多少なりともあると、思っていた。
周りに驚くほどたくさんの、「行きたくない子」「行けない子」がいて、話をきいていたから。
完全におうちにいる子も知っていたし、母と一緒に通い教室に付き添って何時間か過ごしている親子も知り合いにいた。朝になって、具合の悪くなる子も。
あまりによく聞くものだから、もはや珍しくないのだと正直とても驚いた。時代なのか。表面化したのか。

行きたくない子は、行かない選択肢もあるし、他の学校に転校するのもありだよね。そんな話を夫婦でしたこともある。

周りの子たちを、「行きたくないよね、そんな時もあるよね。」と、寛容に見れて、友人の話を余裕で聞いていた私。
シカシ、いざ自分の娘が言い始めたとなると、また違う。しかもまだまだ行き始めたばかりの1年生。不登校とまでは言えない感じ。
「今日は行かない」という気持ちを尊重したほうが良い?でも、傍から見ていて行ったほうがお友達と楽しそうにしているように見える。

そして、私の都合。転職したてで4日も娘の風邪で有給を使った私には、朝になって急に休むのは、なかなか取れない決断だった。

毎日帰ってきてから、なるべく夕飯前に宿題を終わらせる。これがまた、つついてつついて、大変で。
どうにかなだめすかして、送り出す。
時に校門まで連れて行く。
そこまで行けば大概、知ってる黄色いランドセルカバーが、飛び跳ねるように娘を見つけてくれる。あるいは、娘のほうが声をかける。
そして、大河にのみ込まれるように、大勢の子どもたちとともに門の中に吸い込まれていく。

ここまでいけたら、あとは任せるしかない。

ベルトコンベアのようだな。
と、思った。レールに乗せられれば、1日が流れていく。子どもはその中で、自由というよりも画一的な、『より良い製品』になるように、仕立てられていく。

さて娘、一体学校の何か嫌なのだろう。よく、不登校の子に原因を聞かない。その子も分かってないことが多いから。と、言われるが、まずは彼女の言い分を聞かないわけにはいかない。

「ランドセルが重い」 

おおお、そうか。確かに。。
確かに、背負うのでさえおぼつかない。教科書をそんなに入れてないのに(我が子の学校は置き勉させてもらえる)、なんでこんなに重いんだ。
というわけで、体重計で測ってみた。
ランドセルの時と、リュックの時。
……1キロ違う。
しっかりした作りのほうが背負いやすい、軽く感じるかなと思い、我が家は軽量のランドセルにしたが、1キロの差は、体重20キロの人にとってはかなり大きい。1リットルのペットボトルを追加で背負っているようなもの。彼女の比率を大人に換算すると、ざっくりと、2.5リットルのペットボトルを追加で(教科書と別に!)背負っていることになる。

わ、リュックにしよう。
大人の私が、ランドセルにこだわる理由は、高かったからとか、選ぶの大変だったからとか、他の子と同じ方が安心とか、
なんだか、こだわる理由が下らなく見えてきた。ランドセルは、学年が上がってから背負えばいいじゃない。6年背負わなきゃいけないなんて、誰が決めたんだ。

娘が、「他の子と違っても構わないっ!!と、いうので、我が家はリュック登校を決意した。

ただ、家のリュックでは、時間割も入れられないし、黄色いカバーも被せられないので、ランリュックを買うことに。近くのニトリに買いに走り、店頭限りの時期外れのランリュックを破格の値段で買うことができたので、それで通うことにした。

もう一つの娘の、理由。
「学校がつまらない」「先生がすぐ怒る」
「一人を怒るのに、どうしてみんなを怒るのかわからない」

先生は、ベテランのお母さん先生印象はそんなに悪くないんだけど。。たしかに、学校は、◯の範囲がせまいなぁと感じることはある。授業中ゴミを捨てに行くのも☓、登校は15分間の中でなければ☓。早すぎても遅すぎても駄目……。

カタカナを習っている娘が宿題をしながら、悩んでいたことがあった。「すうぷ」というふりがなが付いた国語プリント。
伸ばす棒はまだ習ってないからと、「スープ」と書くか「スウプ」と書くか悩んでいた。
大人の私からしたら(そこは「スープ」一択だろう)と思うのだが、習ってないのに書いて良いのか、書いて先生に☓つけられないか心配らしい。

あるいは、宿題の2行日記。事実で1文、その時の気持ちで1文書かなくてはいけないらしい。(例☆「きょうは 〇〇とかけっこをしました。かって うれしかったです。」みたいな)

で、
「きょうの、きゅうしょくの〇〇がおいしかったです」
と、2文にならないで、感想までかけちゃった日があったり、
「きょうのプールはけんがくだったので、〇〇ちゃんとおへやですごしました。すずしかったです」
と、説明文が長くなり、マスから何文字もはみ出してしまったりする日が出てくる。先生から◯をもらえるか心配になって、悩んで消し、結局書けないという日があった。1年生たち、学校の決めた丸の範囲目指して、本当によくやってるなぁ。と思う。

これには、娘になんて言おうか、どうしたものか……。
一度、行きたくない事を連絡帳に書いた。

先生からの回答は、「なぜ行きたくないか、聞いてみました。勉強が簡単すぎてつまらないとのこと。娘ちゃんには「これからどんどんやってもらうことが増えるから、その時はよろしくね」と伝えました。お伝えいただきありがとうございます。またいつでも言って下さい」といった感じだった。完璧な回答だけど、それで娘が納得するとは到底思えない。


そこで私の保育の師匠のやっている勉強会に投げかけてみた。

寄り添うか、説得して行かせるか、先生に本音を伝えるか……。

師匠の答えは……。

まさかの斜め上だった。

*娘さんが、感じていることを言えなくならなような配慮が必要。
*娘さんのいうことは真っ当。
*抑え込むのではなく、大人には色々いること、あなたはどんな大人になりたい?と、許容しつつあるべき姿を一緒に考えていくこと。
*困っていることは我慢するのではなく、どうしたら困らなくなるか一緒に考えていくこと

ということだった。
そうか、学校という新たな出合いに戸惑っていながらも、もがいているのは、私じゃなく娘だ。
母がどうしようじゃない。
出会う大人は先生でも絶対じゃない。
でも、完璧な先生じゃなくても、それを見て、自分はどんな大人になりたい?と、問うとは。

その次の朝は、いきなりなんとなくどんな大人になりたいかは聞けなかったが、私の子供の頃の先生の話をしてみた。
思えば変な先生いっぱいいたな〜。その先生に対峙していたかと言われると、そうでもなく、変な先生として認めて、ちょっと引いてみていたような気がする。

変な先生の話を、娘はニヤニヤしながら聞き、自分の先生の話もたくさんして、その日はすんなり、学校に行った。

もしかしたらだけど、私が娘と面白おかしく、しかし心を向けて、真剣に話したのも良かったのかもしれない。

その後も朝から「めんどくさい」「今日は休む」ということはあった。
でも、先生の愚痴や、お友達の愚痴もいい、楽しかった話もしてくれるようになった。
宿題イヤイヤは、私が片手間でなく、娘との時間だと思って向き合えば、嬉しそうにやってくれることも分かってきた。娘も「宿題って真剣にやると楽しいかも」なんておっしゃる。(その日だけかもしれないけども。)

こないだ、「なんだか少し、学校楽しくなってきた?」と聞くと、「うん」と。
「先生は、怒らなくなってきた?」と聞くと、「怒るよ。でも、平気になってきた。自分が悪いから」と、言った。

娘なりに慣れてきたのだろう。ランリュックで、今も通っている。時々、思い出したようにランドセルで行く、という。

まぁ、これでまるっと解決というわけにはいかないだろうけど、なんだかんだ言って娘の味方だよーって、少しでも伝わると良いなと、思う母なのだった。
変わったのは、娘じゃなくて、母のほうなのかもしれない。

朝は、「早く早く」をついつい言ってしまうけどね、許してね。



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