我が子にイラッとしちゃうとき、変えるべきは子でも自分でもない時があると気づいた
妊婦の時、あんなに楽だった実家。祖父母は子ども嫌いじゃないし、家業の仕事中でなければ基本はウェルカムなのだが……。娘と実家にいくとなんかとても疲れる。
今でこそ少し落ち着いてきたが、一歳半くらいの時は、「さわっちゃダメ」「これは汚いからダメ」となんでもかんでも止められていた。
私も気づけば、せっかく実家に来たのだからかわいがって欲しいという私の思いで娘を誘導し、「いいこ」に見てもらえるべく声かけをしていた……。
↑娘作、コーヒーカップ
転じて、こないだの引っ越し。
梱包したそばから出す人がいる中、友人の力も借りてやっとこさ引っ越すと、今度は開梱して物をあるべき場所に配置するという仕事が待っていた。
これがなかなか進まない。
娘(二歳半)は、手の届かない場所が減ってきて、さらに踏み台を使うという技を習得していた。
とりあえず段ボールの中身を出してテーブルにおいて仕分けする、ということができない。片っ端から引っ張りおろし、数年間大事に箱に入れていたものをいとも簡単にビリビリに破いて開ける。
「それは大事なものだから、返して」と何度言ったことか。
段ボールの山は、娘のロッククライミングにちょうど良い。登ると窓から外が見える。こちらは落ちるんじゃないかとヒヤヒヤ。
「そこは登るところじゃない。降りて」と何度言ったことか。
進まぬ作業と、娘に、ついイラっとしてしまう自分がいた。
でもさ、娘からしてみたらさ、と、ふとおもう。
物珍しい色々なものが手に届くところにあって、引き出しはベビーガードついてなくて、なれない場所でまだ探索したりなくて、気になるものは手に取りたくて。でも、手に取ったものことごとく、ダメダメ言われて。
公園では遊具に果敢に挑戦することを勧められるのに、家のなかでは降りなさいと言われる矛盾たるや……。
そう思ったら、申し訳なくなった。
そして数日後、少しずつ段ボールが開かれ、とうとう娘のぬいぐるみたちが、掘り出された。
そのときの、娘の嬉しそうなことといったら!
ソファに一人ひとり丁寧に全部並べて、小躍りしていた。
おもちゃが一通り定位置に収まり、娘のコーナーができると、急に娘を止めることが減った。
ああ、そうか。
イライラの原因は、娘が横暴だからでもやんちゃだからでもない。私の引越ストレスがたまっていたからというわけでもない。
環境だ。
小さなあの人が、気持ちよく安全に過ごせる環境が、整ってなかったんだ。
もっとはやくオモチャ出してコーナー作ってあげたら良かったね。
実家で気を使うのも、小さな人がいる想定で作られた環境ではないから。
手の届くところに危ないものや、触ってほしくないものがあったり、埃がたまっていたりするのが、原因なのだ。
衛生面や安全を考えると、言わないわけにいかなくなる。
でも娘の動きを封じることを考えるのは、相当にストレスがたまるし、なにより娘がつらい。
娘のコーナーをつくる。
引っ張り出してはいけない引き出しにはロックをかけ、引っ張り出しても良い引き出しもつくる。
箱を撤去し登れないようにする。
止めなくてすむ環境を整える。
これって、社会にも言えること。
広い公園では、車を気にせず自由に歩かせられる。
ホームドアがついている駅は、手を繋いで歩くのも安心できる。必要以上に繋いだ手を握りしめなくて良い。
近所にあらかじめ声をかけて顔見知りになると、泣いていても、温かく見守ってくれ、子も安心して泣ける。
スーパーに子ども用の小さなかごがあるだけで、一緒に買い物する気になって買い物が楽しくできる。
子どもはぶつかり合って学んでいくもんだねと、共有している仲間がいたら、児童館とかで不必要に譲ったり、貸したりしないですむ。
親の言動、イライラは、環境に6割以上左右される気がする。こうなって欲しいという親の願いももちろんあるだろうけど、環境が押し付けている子ども像もあるのではないか。
見直すべきは、子どもじゃない。その子がその子らしく、気持ちよく過ごせる場をいかに作れるか。
それが大人も気持ちよく過ごす秘訣なんじゃないかなと思った。