となりのイスラム
イスラムには、確たる行動規範があるのですが、多くのイスラム教徒でない日本人はそれを受け入れることができないので、仲間になることはできない、ということになります。だから、私たちは「となりのイスラム」として接することしかできないのです。
日本ではまだイスラム教徒はマイナーな存在ですが、多くの移民を受けいれていたヨーロッパの場合は、事情が異なるようです。
やはりかの地でもイスラムは隣の者として、滞在するという選択が必要なようです。
しかし、イスラムに対する差別と、それへの敵意を持ち暴力(テロ)を行使している、という現状もあります。
イスラムはコーランの「教え」に従って生きる、ことをその信仰のあり方としているのですから、その実践のための生活の場が必要になります。厳密にいえば、イスラム法による支配が行われなければならないので、イスラム的国家にしか所属できない、ことになります。
そんなことは不可能ですから、イスラムの勢力が拡大すると、その土地の習俗が紛れ込み、さまざまに教えの解釈が変化していきました。また神と信者とのあいだに介在するものはありません。そして、現世での行いの審判は神により来世にあらわれる、とされています。
イスラムの知人はいないので、来世のことを信じているのかは分かりません、火葬へのおそれという事案からみても、信じているのかもしれませんが。
価値観の共有が困難なイスラムと、「となりのイスラム」として共存するさいに、ふまえておかなければならない知識を、本書から読み取れます。イスラムには私たちのいう「民主主義」とはちがった民主(主義)があります。
内藤正典『となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』
ミシマ社 2016