日本社会のしくみ

濱口桂一郎は前回ふれたように、日本型雇用形態を「メンバーシップ型」、そして他の多くの社会で取られているのを「ジョブ型」と名付けていましたが、それを著者は〈日本型の「企業のメンバーシップ」では、職種を変えながら企業の内部で昇進していく。それに対し「職種のメンバーシップ」では、同じ職種のなかで、企業を横断してより良い仕事をめざす〉(176頁)という、企業内でか職種内でかの「メンバーシップ」という区別をおこなっています。

なるほど、と思います。同じ「メンバーシップ」という枠組みでとらえ、その基準とするものによって違いを際立たせているので、より分かりやすいように感じます。しかし日本においても、敗戦後外圧により、職務給を取り入れようとの試みもありました。日経連労政第一管理課長を務めた藤田至孝の見解をもとにして、こう述べています。

 日本の経営者たちは、たしかに一時は、職務給と横断的労働市場を称賛した。しかしそれは、中高年労働者の賃金を下げ、解雇を進めやすいという動機からだった。だが企業横断的な労働市場が本当にできたら、企業内だけで職務や賃金を決定できなくなる。それに気づいたとき、経営者たちは職務給を警戒したというのである。 
 (……)
代わって定着していったのは、長期雇用や年功賃金とひきかえに、企業別労組と妥協した「日本的労使関係」だった。

418頁

ここに「人物による評価」と「職務能力による評価」でどちらを重視するかとの違いがみられます。そしてそれは「教育面」でも同じです。〈日本では「どの大学の入試に通過したか」は重視されても、「大学で何を学んだか」が評価されにくいことである。専門の学位が評価されるのではなく、入試に通過した「能力」が評価される〉(61頁)といいます。どの大学に帰属していたのか、ということが「人物」の評価につながり、帰属はとわず「何を」学んだか、という「学位」の評価ですね。つまり、どの大学に在籍したか、というのがその人物の評価となるのと、そこで何を学び、その能力が評価の基準となる、という違いです。そして、それは、大学院などへの進学率のにもつながります。

 経済学者の八代尚宏は一九八〇年に、「わが国の『学歴社会』の内容が他国とはかなり違った様相を呈している」と指摘した。その特徴は、大学院進学率が低いこと、偏差値の高い大学に入るために「浪人」する者が多いことなどだった。八代はその原因を、「博士号、修士号といった『タテの学歴』ではなく、一流校、に二流校など『ヨコの学歴』に対する需要」が強いためだと位置づけた。 

507頁

『タテ社会の人間関係』(中根千枝)とは逆のようすが、「個人はその能力ではなく、どこに属するかで評価される」という前提は合致しているようです。しかし、そのようなシステムは、日本社会だけの特殊性ではないといいます。

 さらに(ロナルド・)ドーアは、日本型制度の心理的影響についても述べている。 
 イギリスでも兵士は、知能検査と身体検査を受けて軍に入り、入隊後に所属部隊で訓練される。民間の職業訓練で技術を覚えてから、軍に雇われるのではない。そうなれば、「何の職種(trade)に就いているかよりも、どこの部隊(corps)に属しているかのほうが重要」になる。そしてイギリスでも、軍隊には同志愛や家族主義があり、在籍年数が長いほうが尊敬される傾向があった。
 ドーアはこう述べている。日本的経営が日本文化の産物だというのは誤りで、「日立の組織形態は決してイギリスと無縁のものではなく、イギリスの軍隊や官庁の型とよく似ている」。 

244-5頁

一括採用も含めて、日本的経営とされているものは、軍隊的な要素を多分に含んでいて、それを、営利組織としての企業の特質となってしまっている、というのです。しかし他国では、そのような傾向に対して〈企業を横断した専門職集団や労働運動、あるいは階級意識などが、その影響力を弱めた〉が、〈日本では、こうした企業横断的な運動や基準が弱く、個々の大企業は独立王国のような状態を呈し〉(558頁)ている、として、その〈大きな要因は、戦争とインフレによって(職工・工員に比べて特権的であった)職員が没落し、運命共同体意識が高まっていた〉(559頁)と指摘します。

その大企業が、特権的な「独立王国」とされる由来に次の例をあげています。

 一九八〇年代後半に、アメリカのGMは約八〇万人の従業員で、年間約五〇〇万台の乗用車を生産していた。それに対し、トヨタは約七万人の従業員で、年間約四〇〇万台を生産していた。そしてGMが部品の約七〇%を自社生産していたのに対し、トヨタは部品の多くを約二七〇社の下請け企業グループで生産していた。 

532頁

「ケイレツ」というシステムですね。そこには、自社で生産するよりも外部委託する方がコストが抑えられなければ意味がない、という戦略があります。そこでは「同一労働同一賃金」の原則は無視されていて、発注者である大企業を頂点にした〈日本型秩序〉が支配的になります。

最後に、社会の価値観をはかる、問いがあげられています(577頁以下の要約)。

それは、スーパーの非正規雇用で働く勤続一〇年のシングルマザーが、「昨日入ってきた高校生の女の子となんでほとんど同じ時給なのか」という問いかけです。著者は次の三つの回答例をあげています。

 ① 賃金は労働者の生活を支えるものである以上、年齢と家族数にみあった賃金を得られる社会にしていくべきだ。
 ② 年齢や性別、人種や国籍で差別せず、同一労働同一賃金なのが原則なのだから、同じ賃金であるのは正しい。資格や学位をとって、より高賃金の職務にキャリアアップできる社会にしていくべきだ。
 ③ この問題は労使関係ではなく、児童手当など社会保障政策で解決するべきだ。賃金ついては、同じ仕事なら女子高生とほぼ同じなのはやむを得ない。資格取得や職業訓練機会提供などは、公的に保障される社会になるべきだ。

さて、あなたの選択は?

小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』講談社現代新書 2019

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