日本共産党
共産党といえば、プロレタリア独裁、民主集中制、分派の禁止、そして今では影を潜めていますが、暴力革命というマイナスイメージがまず連想されます。このうち「民主集中制」は本来の趣旨から外れてしまっている、と説明されます。
もともとは「党議拘束」のようなものであった「民主集中制」が、分派の禁止によって変質してしまった、のですね。民主集中制はあくまで手段に留まりますが、分派の禁止は手段を越えて目的のようになってしまい、禁止を犯すおそれのある行為ができなくなってしまったのです。
ちなみに日本共産党は、ロシア共産党の第一〇回大会の翌年の一九二二年に結成されます。そして、終章の第一節のタイトルは「変化を遂げた一〇〇年」になります。
その一〇〇年の間の出来事については触れませんが、著者は、その一〇〇年の歴史には様々な変化があったのだから、とそこに左翼政党としての可能性を見ようとしています、分派の禁止をともなう民主集中制や、負の遺産の大きい党名を変えようとしないことへの、自己批判がなされていない、という保留つきですが。
まず、党(名)の維持が何より優先され、日本の政治状況への影響力の行使を軽視する(現実への無関心)、その唯我独尊的な態度から転向する必要があるでしょう。
それがなされたうえで、これから共産党が向かうべき方向として、既存の政治・経済体制の枠内での改良に努める社会民主主義政党と、既存の体制を問題としてみるニュー・レフト的な民主社会主義への移行を見据えている、著者の見解には十分な説得力を感じます。
共産党が、社会民主主義と民主社会主義に分派されてもいい(連立を組むでしょうから)、そうなれば、国政選挙で投票先に、悩むことは無くなるだろうに。
中北浩爾《こうじ》『日本共産党 「革命」を夢見た100年』
中公新書 2022