日本共産党

共産党といえば、プロレタリア独裁、民主集中制、分派の禁止、そして今では影を潜めていますが、暴力革命というマイナスイメージがまず連想されます。このうち「民主集中制」は本来の趣旨から外れてしまっている、と説明されます。

 そもそも民主集中制は、左派のボルシェビキと右派のメンシェビキの両方を含むロシア社会民主労働党によって一九〇五年に定式化され、その当時は「討論の自由と行動の統一」と言い表されるような近代政党としての一般的な組織原理に近かった。(略)
 転換点の一つは、ロシア革命に続く内戦に伴う危機のなか、ロシア共産党が一九二一年の第一〇回大会で分派活動を禁止する「党の統一について」という決議を行ったことである。分派の禁止と密接不可分に結びつけられることで、民主集中制は大きく変質する。例えば、選挙制は擁護され続けたが、選挙を目的とした組織活動がタブーになったため、候補者リスト方式による事実上の任命制に取って代わられることになった。

19頁

もともとは「党議拘束」のようなものであった「民主集中制」が、分派の禁止によって変質してしまった、のですね。民主集中制はあくまで手段に留まりますが、分派の禁止は手段を越えて目的のようになってしまい、禁止を犯すおそれのある行為ができなくなってしまったのです。

ちなみに日本共産党は、ロシア共産党の第一〇回大会の翌年の一九二二年に結成されます。そして、終章の第一節のタイトルは「変化を遂げた一〇〇年」になります。

日本共産党は一九二二年の結成以来、一〇〇年後の現在に至るまで、大きく変貌した。最も重要なのは、第一にソ連共産党に対する従属から自主独立路線への転換であり、第二に暴力革命路線から平和革命路線への変化である。

355頁

その一〇〇年の間の出来事については触れませんが、著者は、その一〇〇年の歴史には様々な変化があったのだから、とそこに左翼政党としての可能性を見ようとしています、分派の禁止をともなう民主集中制や、負の遺産の大きい党名を変えようとしないことへの、自己批判がなされていない、という保留つきですが。

革命を成功させた各国共産党がことごとく人種の抑圧など共産主義の理想に反したのはなぜなのか、日本共産党は本当に兄弟党の失敗から無縁でありうるのか、ロシア革命にはじまる共産主義(マルクス・レーニン主義)そのものに欠陥があるのではないか、こうした疑問に対して科学的な反論を十分に行っていない。

399頁

まず、党(名)の維持が何より優先され、日本の政治状況への影響力の行使を軽視する(現実への無関心)、その唯我独尊的な態度から転向する必要があるでしょう。

それがなされたうえで、これから共産党が向かうべき方向として、既存の政治・経済体制の枠内での改良に努める社会民主主義政党と、既存の体制を問題としてみるニュー・レフト的な民主社会主義への移行を見据えている、著者の見解には十分な説得力を感じます。

共産党が、社会民主主義と民主社会主義に分派されてもいい(連立を組むでしょうから)、そうなれば、国政選挙で投票先に、悩むことは無くなるだろうに。

中北浩爾《こうじ》『日本共産党 「革命」を夢見た100年』
中公新書 2022

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