夫婦同姓と異性婚
夫婦別姓や同性婚について、保守派が、日本伝統の「家」を基盤とする基盤とする(近代)「家族」というシステムの崩壊の可能性を危惧し、「家」という規範の崩壊の可能性があるとして、認めようとはしません。そのような規範はいつからのものなのでしょうか。
遠藤正敬『犬神家の戸籍 「血」と「家」の近代日本』(青土社 2021)を見てみます。
「家族」という概念が制定されたのは、一八九八年七月十六日に施行された「明治民法」からだ、といわれています。明治民法の定義では「家族」とは、第七三二条で〈戸主ノ親族ニシテ其《その》家ニ存《あ》ル者及ヒ其配偶者ハ之《これ》ヲ家族トス〉(27頁)となっています。
そもそも、「家」や家名としての「氏」は武家での制度であったのだし、町民や農民には、ひろがっていたものではありません。しかし、それでも父―子は別として、妻の苗字は意識されていなかった、とも言われています。それが、たかだか一三〇年ほど前に「夫婦同姓」という制度が(反対意見の多い中で)創られた、のです。
一方「同性婚」についてはどうでしょうか。
三橋順子『女装と日本人』(講談社現代文庫 2008)に興味深いケースが指摘されています。
明治新政府は一八七一年四月に「壬申戸籍」という〈全国一律の戸籍作成に着手します〉。それによって、異性装の男性と男性の婚姻、という事態が問題視されます。
近代化=西洋化なのですから、キリスト教的な規範から外れるような風俗は、制度としては認められず、法的に禁止された、ということでしょう。
流れとしては、壬申戸籍によって制度としての「婚姻」が制定され、異性婚が唯一の「あるべき」形態となり、その後、明治民法によって、夫婦同姓という、苗字から「氏」によって「家」(戸籍)が確立した、ということになります。
まず、外からの視線を警戒するあまり(野蛮な風習だと思われるのをおそれて)、「あいまいな性」のあり方を容認しなくなり、「個別的な人身把握」という戸籍の目的のため、妻の姓を明確にする必要があり、「家(戸籍)」を基準にしたために、夫婦同姓という制度が創られた、と考えられます。
保守派が強調する伝統的な、家族・婚姻制度は明治以降の(それも西洋に追いつけ追い越せという風潮のなかで形成された)ものでしかないのです。