新しい労働社会

日本の雇用での「新規一括採用」については、不合理な面が多い、とは常々思っていました。まるで、大学が就職のための「予備校」に成り下がっている、ようではありませんか。そして、その根本原因は「日本型雇用システム」にありそうです。

もし日本以外の社会のように、具体的な職務を特定して雇用契約を締結するのであれば、企業のなかでその職務に必要な人員のみを採用することになります。(……)しかし、雇用契約で定められた職務がなくなったのであれば、それは解雇の正当な理由になります。仕事もないのに雇い続けろというわけにはいかないからです。
 ところが、日本型雇用システムでは、雇用契約で職務が決まっていないのですから、ある職務に必要な人員が減少しても、別の職務で人員が足りなければ、その職務に移動させて雇用契約を維持することができます。

4~5頁

「職務を特定して雇用契約を締結する」社会であれば、どうしても職務での能力が重要視され、経験のある熟練労働者が優位になり、危険の乏しい若年者が、採用で不利な立場におかれ、職を得られない、という事態が生じている現状もありますが、傾向としてはこちらがスタンダードのようです。

一方、「日本型雇用システム」では、職務に就くという意味での「就職」はまれで、「入社」という表現のほうが似つかわしく感じられます。評価も、ブルーカラー労働者であっても、職務面での能力だけでなく、いかに組織の秩序形成に役立っているか、という評価が重視される傾向があるようです。そして、労働組合の側でも企業の論理に合致するような動きがみられました。

終戦直後に労働基準法が制定されるとき、一日八時間という規制は健康確保ではなく「余暇を確保しその文化的生活を保障するため」のものとされ、それゆえ三六《さぶろく》協定(時間外・休日労働をおこなわせるために必要な労使協定)で無制限に労働時間を延長できることになってしまいました。労働側が余暇よりも割増賃金による収入を選好するのであれば、それをとどめる仕組みはありません。

38~9頁

やがてそれは〈過労死・過労自殺問題〉が表面化し、さらに〈男性労働者の長時間労働がその仕事と生活の両立を困難にしているのではないかというワークライフバランスの問題意識が前面に出て〉(45頁)くることで、表面上は残業時間が月に四五時間という制限がもうけられるようになりました。しかし、労働者の生活を保障するのに日本では「企業中心」システムで解決します。

労働関係の当事者としての生活給制度から一定のメリットを享受した主体があります。それは政府です。同一労働同一賃金原則に基づく職務給が一般的な社会においては、労働者が結婚してこどもができ、そのこどもが学校に進んで行くにつれて、年齢とともに上昇する生活費、教育費、住宅費などが賃金によって十分にまかなわれませんから、(……)欧州諸国の福祉国家とは、年金や医療といった日本と共通する社会保障制度だけではなく、育児、教育、住宅といった分野においても社会政策的な再分配が大規模におこなわれる社会でもありました。
 ところが、戦後日本においては、これら費用は企業が正社員に支払う生活給のかたちで賄われてきたために、その費用を政府が負担せずに済んできました。

123頁

企業といいますか、組織への帰属意識を無意識に備えてしまうこと、へとつながりますね。生活給として支払われているもの、基本給に取り込むなり、税金として納め再分配にあてれば、と思うのですが。

そしてこれは、企業文化からはみ出た者たちにとっては、つらい状況を生みだします。

 現在の生活保護受給者は、高齢者世帯が四五%、傷病・障害者世帯が三六%と圧倒的に就労困難ないし不可能なものが多数を占め、欧米では過半を占める母子世帯が八%、その他の世帯は一一%に過ぎません。(……)
 逆に、生活保護に入れてしまうとなかなか出て行かないということを前提にすると、就労可能なものをうかつに入れない方がよいという現場の判断が出てきます。 

167頁

わが国での生活保護受給に至るまでの困難さは、よく耳にします。なるほど、就労困難ないし不可能な人たちへの「長期受給」を前提にしているから、一時的に生活困難におちいった人たちは「うかつに入れないほうがよい」ということになるのですね。

「新しい労働社会」とタイトルにはありますが、それへ向かって希望をもって、というようなことは書かれていませんが、問題はどこにあるのか、を他国との比較から明らかにしてゆこう、という姿勢で貫かれています。そして、立ち返るべき地平として、以下のモデルをあげています。

 利害関係者のことをステークスホルダーといいます。近年「会社は誰のものか?」という議論が盛んですが、「会社は株主のものだ。だから経営者は株主の利益のみを優先すべきだ」という株主(シェアホルダー)資本主義に対して、「会社は株主、労働者、取引先、顧客などさまざまな利害関係者の利害を調整しつつ経営されるべきだ」というステークスホルダー資本主義の考え方が提起されています。(……)さまざまな利害関係者の代表が参加して、その利益と不利益を明示して堂々と交渉を行い、その政治的妥協としての公共的な意志を決定するというステークスホルダー民主主義のモデルが得られます。

208~9頁

濱口桂一郎『新しい労働社会 雇用システムの再構築へ』岩波新書 2009

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