韓国とキリスト教

〈キリスト教の韓国伝播に関して実際に確認できる最古の事例は、一六世紀末、豊臣秀吉《とよとみひでよし》の朝鮮出兵の際に、イエズス会の宣教師が日本から朝鮮半島にわたったことである〉のですが、〈中国、それも北京から朝鮮に伝播した。当初はキリスト教という宗教として伝播したのではなく、ヨーロッパの学問、すなわち「西学」として受容され〉た、ともいわれています。

 キリスト教が当初宗教ではなく西学として受容された経緯を考慮するならば、両班階級から受容されていったことは容易に理解できる。それが徐々に一般庶民にも浸透していき、やがて女性もキリスト教を受容していったのである。(略)彼らは両班階級とは異なり、必ずしも文字が読めるとは限らない。厳格な身分秩序の下、社会的に抑圧されていた人々にとっては、神の下での平等を説くキリストの教えが大きな救いとなり、人々を惹《ひ》きつけたと言われている。

66-67頁

儒教といいますか朱子学的な体制で抑圧されていた庶民にとっての救いとなり、広まってゆく、ということですね。そしてこれを、キリスト教と韓国人の民族意識と関連づけて以下のように考えています。

韓国教会は、イスラエルの民が神から選ばれたとする「選民思想」を韓国人に当てはめた。すなわち、特に優れた能力があるわけでもない韓国人を、神は自らの民としてお選びくださったというのである。それによって、韓国人は、神と契約を結んだことになる。

154頁

イスラエルのように国を失うことはなかったものの、常に中国という大きな存在に脅かされ、日本によって植民地として統治された、という歴史があります。そして、その信仰の母体が庶民層にあることから、

 キム・ヨンジェによれば、韓国の信者はシャーマンが神と人間の仲介者の役割を果たす巫俗《ふぞく》信仰に慣れているために、牧師を祭司と見る傾向が強いという。これが個別教会主義の一つの土台になっていると言えよう。このような宗教的背景から、牧師はカリスマ的権威を志向したり教権主義に陥ったりしやすくなる。(略)カリスマ的教権主義は、個別教会主義の原因であると同時に結果でもある。

169-170頁

これがメガ・チャーチへと突き進んでゆくこととなり、そして「旧統一教会」のような団体が出現する土台となります。

『韓国とキリスト教 いかにして”国家的宗教”になりえたか』
浅見雅一 アン・ジョンウォン 中公新書 2012


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