ほんとうの憲法

とくに政府発表の表明などでは、「国民の皆様」に向けて発せられています。日本の場合、「国民」とは「国籍」を有している者のことですから、日本に在住していて、国民ではない者は?と、どうも違和感を感じてしまいます。たとえば憲法第十一条です。「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵《おか》すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
国民でない者の基本的人権や政治での適応は、どうするの、と疑問に感じます。

なぜ「国民偏重」なのでしょうか。その経緯について、著者は以下のように指摘しています。

 なぜ日本国憲法は制定されたのか。その理由が「前文」において示されている。つまり「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすること」である。国際社会との協調、諸個人の自由、戦争の回避が、憲法制定の目的である。これらは、「原理」ではない。なぜ憲法を制定するのか、という理由であり、目的である。 

23~4頁

ではその「原理」とは?

日本国憲法において明示されている原理は、ただ一つ、「国政は国民の厳粛な信託による」ということである。あとはこの根本原理の説明として、「人民の人民による人民のための政治(government)」という考え方が、言い換えられて示されているにすぎない。 

25頁

「人民の……」というのは、リンカーンによる演説で有名です。人民=peopleという点に注目しましょう。

ご存知のように、日本国憲法はGHQ草案をもとにしています。そして、〈日本国憲法におけるドイツ・フランス法思想の影響が一番強い部分は、国民主権の規定である。アメリカ合衆国憲法に国民主権の規定は存在し〉(62頁)ていない、と言います。それは〈主権を相対化する〉(63頁)傾向をもつものだとしています。

 たとえばアメリカ独立宣言や合衆国憲法は、「nation」の主権といったフランス革命的な考え方を採用せず、ただ「people」がすべての権力の源流であることだけを宣言した。同じように「people」が登場するのが、憲法の基盤となったGHQ草案である。
 しかし「人民」と訳すべきだった「people」を、あえて「国民」と言い換えたのは、天皇制の維持を強く願っていた日本政府側の関係者の画策によるものであった。「人民」であれば、反天皇制の響きがするが、「国民」であれば、天皇もその一部だと解釈できる。後付けの悪知恵である。

63~4頁

主権ではなく「権力の源流」と相対化されていることが重要です。そして、国民とは憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存ずる日本国民の総意に基づく」に似つかわしく感じられます。そして、それは〈「八月革命」説は、実際の憲法制定権力者としてのアメリカの存在を消し去ることに成功し〉、〈アメリカの介入を受けてもなお存続している日本という国の一貫性であり、憲法典の連続性である。「革命」の断絶をへてもなお存続する「国体」の存在である〉(132~33頁)という意志にも符合します。

日本国憲法は敗戦後、GHQ主導でもたらされたもので、その中心にあったのは、アメリカです。そして、憲法の「原理」としてもたらされた、peopleを「権力の源流」としての人民ではなく、「主権」をもつ国民として、適応させてしまった、のです。抽象的であいまいな概念でしかないもの、をゆるぎないものとして固定させた、と言っていいでしょう。

やはり、憲法の前文は重要なのです。それをふまえて、「国際社会との協調」を前提とした「戦争の回避」をうたう第九条を見れば、〈「交戦権」などという概念は、国際法で使用されている概念ではな〉く、〈「交戦権の否認」は、旧時代の概念を振りかざして戦争を正当化しようとする大日本帝国時代の悪弊を禁止するための条項であり、国際法に追いつくための条項で〉(148頁)ある、としていて、「国際法」を遵守するという立場をとります。

そもそも〈政治共同体の根本的枠組みを定める規範〉(16頁)である憲法は、どのようにとらえるべきなのでしょうか。

 個人の自然権を絶対的なものとみなし、その権利を守る。それが出発点となって、社会構成員による社会成立のための社会契約、政府と人民の間の統治契約が説明されていく。国民に主権がある、という思想は、個人の自然権の絶対不可侵性にもとづいて社会が成立しているという根源的な認識と比べれば、二次的な重要性しかない。個人の自然権の絶対性が、立憲主義思想をささえる社会契約論を生む。その社会契約論によって、主権の様態が決まる。権利があって主権が構成されるのであり、逆ではない。 

16頁

具体性をもった「個人」の自然権を守るためになされた社会契約が「憲法」なのです。

篠田英朗『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』ちくま新書 2017

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