"聴こえる"ことは単なる1つの個性に過ぎない
貴方は聾者(耳が聴こえない人)についてどう考えていますか?
私は"可哀想"と思ってました。(聾者の方すいません。)
私は"聴こえる人"として産まれて、18年間それは変わりませんでした。音楽を聴いて、フェスやライブに参加することもとても大好きなので、それが出来ないなんて可哀想😢そう考えてしまっていました。
しかし、そんな私の価値観が変わる出来事が起こります。
いつも通りレジでお客様の対応をしていたある日のこと。その日は、車のイベントが近くであったり、途中からは今年の初雪が降ったりして、いつもよりも混んでいて店内がとても騒ついていました。PTRやお客様の話す声、ミルクのスチーム音、その他諸々の物音。そんな中、1人の女性がレジに向かってきました。
_私:こんにちは。ご注文お伺いします。
すると、お客様は口パクで"も・ち・か・え・り"と繰り返しながら必死に外を指差して下さりました。
_私:お持ち帰りですね。
笑顔で頷きながら、スマホのメモ画面でのみたいドリンクとそのサイズやカスタムを見せて下さるお客様。
笑顔で黙々とそのメニューをレジキーで打つ私。その後は、私は自分が偶然持っていたメモ帳とボールペンで筆談で、お客様はジェスチャーでお互いコミュニケーションを取りました。
そのお客様は終始笑顔で楽しそうにご注文なさっていました。だからこちらとしても、筆談ということに対しては、確かに後ろにもお客様が詰まっていたので大変でしたが、とても対応しやすかったです。
当然、耳が聴こえていても、無愛想な態度を取ってくる"対応が難しい"お客様もいらっしゃいます。
ですので、愛想の良し悪しやその人の性格等、全てにおいて耳の聴えは関係ない、全てがその人の"個性"なのだと。耳が聴こえる事が普通で、聴えないことはハンデ(いわゆる障害)があり、可哀想という考えは違うな、と感じました。
耳が聴こえるのも聴えないのも、その人の肌の色や思考の癖、身長体重と同じで、1つの個性なのだなと感じました。
耳が聴こえなければ、確かに音楽は聴けないし、字幕がないとテレビや動画を見ることもままならないけど、耳が聴こえなければ、余計な悪口や陰口を聞いて無駄に傷付く必要もないなとも考えました。
そう思わせて下さったお客様には感謝しかありません。
しかし、やはりスムーズに会話が進まないことはとても大変だと思います。そのため、私は次そのようなお客様がいらした時のためにも手話を覚えようと思います。そして、スタバの特徴である、コネクトを取るということを"耳が聴こえるという個性を持っている"お客様と同じように行い、スタバをもっと楽しんで好きになって欲しいです!
スターバックスコーヒーnonowa国立店は聾者のPTRが中心となり働いていますが、他店舗でも聾者以外のPTRが手話を覚え、もっと細かなカスタムをしたり、PTRとのコネクトを楽しんだり、聴こえる人が楽しんでるのと同じような楽しみ方を聾者の方にも味わえるようにしていきたいと思います。