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花が死んだ
2024.11.3 僕を5年も呪っていた少女が人知れず死んだ。
彼女と出会った時の僕は、自分が何者でもないことへの恐怖と、それでも何者かになれるはずだという根拠のない自信、そしてその両方をあざ笑うように名前のつかない人生への怒りに吞まれていた。
中学生の自分には口に出すのも恥ずかしくて、隠しているうちに自分もしまった場所を忘れてしまっていた思い。思春期なんてこんなもんだと自分を納得させていた。
彼女は、そんな僕の心の中に突然現れた
まるでずっと其処にいたかのように
『不可解』という歌だった。「それでは聴いてください」というありふれたフレーズが、彼女の震えた声ではどうしようもない祈りのようで、この声を無視してはいけないと僕のどこかが叫んでいた。
彼女は怖がっていた、彼女は自分を証明しようとしていた、彼女は、震えた声で、今にも消えそうな姿で、怒っていた。
彼女が歌っていたのは、僕だった。
いままで見たことのない容姿で、いままで聞いたことのなかった声の少女が誰よりも僕のことを理解してくれていた。僕が彼女に釘付けになるのは至極当然のことだったと思う。彼女は自分を「花譜」と名乗った。世界を歌うためのきれいな名前だと思った。
花譜は彼女の背格好には少々オーバーなコートを羽織り、フードを深く被っていた。自分の小ささを理解している自虐のように見えて、少し、やめてほしかった。
彼女が歌うすべては、僕の知ってる僕で、僕が知らない僕だった。この感動を一人では抑えられなくて、僕は花譜がいるはずの場所にむかった。コメントを残す以上に僕がすべき表現があって、それが彼女に恥じない自分になることだと思った。Twitterという世界に、「つめ」という僕が生まれた。
彼女を好きな僕は、僕がもともと恥ずかしがっていた部分だから、共通の趣味の友人は結局あまりできなかったけれど。
流行り病のせいで直接彼女に会いに行くことはできず、僕の彼女との時間はほぼすべてがインターネットの上だった。彼女への解釈は、「つめ」である僕にとっての答えのない存在証明だった。毎日繰り返して、じわじわと煮詰まってしまっていた。そのころにはもう、高校生活にも慣れていた。
彼女は何度も姿を変え、新しい歌を歌った。タイムラインは更新され、いなくなった人もいれば、その何倍もの新しく訪れた人がいる。僕は彼女のことが変わらず好きだったが、変わった彼女を好きになるのには時間が必要だった。変わった彼女と出会った人たちが、今の彼女について笑顔で語らっている。そんな様子を遠くから見ながら思った。
あぁ、あの頃の花譜はもういないんだ
もう僕に花譜はいらないんだ
嘘だ、僕には花譜が必要だった。もっと僕のことを教えてほしかった。僕の代わりに怒って、悲しんで、憐れんで、訴えて、祈って、苦しんで、苦しんで、苦しんでほしかった。離れることなどできなかった。
決定づけたのは「同位体」の誕生だった。彼女の声を模倣し、彼女の容姿を模倣し、彼女と同じ寵愛を受けようとした歪な存在。僕にはあれが許せなかった。僕が好きな彼女から、彼女の熱を抜き取った抜け殻を「お前が欲しいのはこれだろ」と渡されたような気がして、耐えられない怒りを振りまいた。ほかでもない彼女がそれを受け入れていて、僕はもう、造花になってしまったあのころの彼女だけを抱いて、消えてしまうしかなかった。
それからの僕は、彼女への妄執を抱えたまま彼女を取り巻くすべてに批判的な、それは醜い人間だった。観測者は彼女のためだけにある言葉だろと思ったし、カンザキじゃない彼女の解釈は、商品にしか見えなかった。彼女がアイドルのような扱いを受けているのが気持ち悪かったし、アイドル扱いしている張本人たちが「アイドルじゃないよね~わかってないなw」みたいなことをのたまっていて殺意が沸いた。僕から彼女を奪っておいて、無責任なことを言いやがって、と彼女を好きでいられるアイツらを妬んでいた。メッセージ性の強い歌は、嫌いになった。
邦ロックやHIPHOPばかり聴くようになっていた僕は友人に誘われて代々木で行われる『現象Ⅱ』のチケットを取った。V.W.Pの彼女には、言霊などないのだと割り切って、ライブを楽しむという心持一つで向かった。実際楽しめたが、良くも悪くも想像通り。僕の想像を超えたのは初めて見たVALISだけだった。僕は自分にヴァンデラーという注釈を加えて神椿をもう一度見ようとした。そのときだった
彼女が、名前の違う彼女を生んだ。廻花と、名乗っていた。
驚きなどなかった、戸惑いなどなかった、当時の観測者(笑)組どもの不寛容の一切は僕になかった。僕はただ、うれしかった。彼女が自分のための言葉を取り戻したのだと思った。○○○○○○が「つめ」になったように、花譜も廻花になることでしかできない表現があるのだろうと、当然理解できた。
VALISを好きになった僕は偽物じゃなくて、それは今の僕だ。どうしようもなく花譜に呪われていて、どうしようもなく廻花に惹かれる僕は、花譜と重なっていた時の僕だった。いつか必ず来る(再)を心に留め置いた。
祈るように申し込んだチケットは、不思議に思えるほどあっさりと僕の手に届いた。こんな妄執を抱えながら初めて向かう彼女のワンマンライブへの道は、嫌でも彼女と出会ったばかりの時のことを思い出させた。
ライブの前、鼓膜売りさんに初めて会った。僕より以前に彼女に出会い、僕のように腐らず彼女を愛している先輩だった。僕に、「つめ」になるきっかけをくれた人で、交流できるようになってからもひたすらに尊敬していた。それまでのイメージ通り温かい人で、花譜を愛していることがすぐに感じ取れた。彼と話した時間もまた、僕の5年を歩き直す大きな一部だった。
僕の膨らみきった彼女への想いのすべてを振り返るには短すぎる時間がすぎ、開演時間になった。
はじまりは『青春の温度』。一度は聴いたことのある歌だった
狂ってしまえ 狂ってしまえよ
このままの温度で
笑ってしまえ 笑ってしまえよ
君は今日死んだぜ
狂ってしまえ 狂ってしまえよ
このままの合図で
笑ってしまえ 笑ってしまえよ
青春の温度が君を待っている
一度は、聴いたことのあるはずの歌だった。違ったのはそこに彼女がいて、彼女が今歌っているということ。それだけがこの歌を熱く鋭くして、僕の全身にぶつかってきている。
「このままの温度で狂ってしまえよ」、変わっている僕を許してくれた。「笑ってしまえよ、君は今日死んだぜ」、別れの言葉のようで、出会いの言葉のようだった。
「このままの合図で狂ってしまえよ」、迷いを捨てさせてくれた。
「青春の温度が君を待っている」、出会った頃の情熱が、彼女の姿から一度に押し寄せた。
涙が流れた。この瞬間は自分も涙の意味を知らなかった。声も上げられず、ただ泣いていた。
『花譜です! 始めます!』
彼女は僕が知っている儚い少女ではなかった。祈るような声で、意識しなければ聴こえない歌を歌ってはいなかった。それなのに
花譜と名乗った女性は、僕を見ていた。変わらず、僕の知らない僕を。
あの日確かに
世界が終わって
未来なんてないって思ったんだ
でも君が泣いていたから
もっと高い場所で
君を守りたいって思ったんだ
そしたらさ
悲しみなんてどうでもよかったさ
狂ってんだ
狂わしたのは君さ
笑ってしまう 笑ってしまうよ
ここから見えるんだ
わかってしまう わかってしまうよ
やっと会えたんだね
狂ってしまう 狂ってしまうよ
このままの温度で
歌ってしまう 歌ってしまうよ
君の笑顔のため
僕は青春の温度の中で涙の意味を知った。変わってしまったのはいつも僕で、彼女も彼女で変わっていて、僕だけがそれを恐れていたんだ。彼女は変わっていく自分を受け入れて、その時間の全部を大切にしていたことが伝わってきて、どうしようもなく謝りたくなった。それが僕の涙だった。
「縛り付けてごめん、留めようとしてごめん。強くなってたんだね、僕は弱いままだよ。それでも僕を、愛してくれるんだね。ありがとう。」
謝罪は感謝になって、『未観測』を歌い始めた花譜に訴えた。彼女は、「見捨てはしないさ」と答えてくれた。大人になっても苦しみはあって、それを持ったまま生きていかないといけないこともわかってて、それでも一緒にいられる時間は、一緒に理不尽を叫んでいよう。再会した僕らにふさわしい曲だった。
未観測を終えた彼女は喋りだす。次のイントロの中でぽつりぽつりと。流れる時間の中で変わってしまっても、あの時の思いは大切なまま。それがこもったこの歌も、ずっと大切だよ。それは、僕がずっと言ってほしかった言葉だった。
『糸』のなかで、僕は彼女に会った。雛鳥のまま、僕の中で保存されていた花譜。ステージに立つ花譜の成長を僕の全身が理解していくにつれ、雛鳥は散っていった。僕はずっと僕の花でいてくれた彼女に感謝を伝えた。歌い終わるころには、僕は花譜を受け入れられていた。僕の妄執は、静かに死んだ
そこからはとにかくライブを楽しめていた。『カルペ・ディエム』で花譜は「生きて」と叫んだ。カンザキの影も見えたが、彼女の歌はやっぱり祈りなんだなと思い、安心した。POPシーンな新曲の数々を、あの時との違いを受け入れた僕は新たな花譜に似合っていると思った。
花譜としてのパフォーマンスを終え、PVの後に廻花が登壇した
実際に見る彼女も、やはり違和感はなかった。ただ、彼女のすべての言葉が、僕の空白を埋めてくれることを確信していた。僕だけが、彼女と初めましてだった。
ターミナルは、すれ違い続けた僕と彼女のそれでもつながっていた時間を思い出させてくれた。
テディベアは、独り暮らしを始めたばかりの僕が、少し特別に思っていた程度の些事を拾い集めてくれた。家が恋しくなった。
『東京、僕らは大丈夫かな』は僕にとって特別なものになった。花譜と出会った頃にあった希望や絶望を、割り切って受け入れるようになってしまった自分。嫌っていたはずの人間にいつの間にかなってしまって、自分に訪れる変化を大きく成長と括ってしまっている。そんな変化は彼女にも訪れていて、彼女はそれを歌にしてくれた。無粋なファンもどきの介入さえなければ泣き崩れたであろう歌唱後のMCで、彼女は語った。
「廻花の歌は、はっきりとした言葉にならない気持ちから生まれる」
僕が恋した彼女は、廻花の本質の部分だったと知った。彼女が作りたい歌は、あの時から変わらず僕の知らない僕の歌だった。そう教えてくれた彼女に、感謝の言葉以外はなかった。
『かいか』は僕たちの出会いの歌になった。僕も、君も今の姿になる前からお互いを知っている。はじめましてはうまく言えないけど、それもお互いわかってる。
花開いて遠ざかる空の色
何者かになりたかった歌も
変わり続けてくけど
ぼくはぼくだから
まわりだした花
彼女の歌だけでつながっていた僕たちの物語の答えは、ぜんぶ彼女の歌の中にあった。目指す場所も、目指している自分もずっと変わっていくけど一瞬一瞬がすべて大切な自分で、僕らはゴールのためだけに生きてない。いろんな姿の当時の自分を愛し合っていくんだよと彼女は教えてくれた。廻花は、その願いが込められた名前だと知った。
怪歌は幕を閉じた。僕の5年が全部詰まった、本当に怪しい歌の数々だった。終わった後に彼女に送る言葉は「ありがとう」しか思いつかず、寄せ書きの端に名前も並べず走り書きした。彼女が実際に僕を知る必要なんてなかった。
5年間僕の中にいてくれてありがとう、花譜。他の何者も忘れさせてくれないほど大きなものでいてくれてありがとう。
もう一度出会ってくれてありがとう、花譜。僕がとらわれていた想いを、殺してくれてありがとう。今の君を教えてくれてありがとう。
生まれてくれてありがとう、廻花。世界中の誰もが書き留めない歌を、残してくれてありがとう。行先もわからず歩き続けることを肯定してくれてありがとう。僕を、追い抜いてくれてありがとう。
2024.11.3 僕は、人知れず観測者になった