パンクロックと

おはようございます、音叉です。
本日はお日柄もよく、鬱々とした朝。
2個目の投稿ということで、私のことを少し話させていただきます。(少しな訳が無いが)

私、起立性調節障害でして、朝にめっぽう弱いんですね。というか不眠症も併せ持っているので、朝に弱いっていう問題で済ませられやしないとは思いますが。

これらの症状を自覚したのは高校2年生からで、それからしばらく経ってようやく重い腰を上げ病院に罹った訳です。そしたら色々と発覚した訳ですね。

そこからというものの鬱々とした日々を過ごしてきた私ですが、あるものとの出会いで人生が180度変わりました。今回はそのお話です。

さて、タイトルの「パンクロック」は、私が生涯を掛けて愛すべきパンクロック、私自身の人生を語る上で欠かせない存在です。

私がパンクロックを聴き始めたのは3年前のことでしょうか。今までは耳ざわりの良い音楽を好んでいた私の耳に、突然パンクロックが響き渡った訳です。それはもう衝撃的で、脳がショートしたような、何でも出来る気がすると錯覚する程までの感覚でした。

それからというものの、どんな自分でも肯定してくれる、そして耳に鳴り響く雑音をかき消してくれるパンクロックが、私の日常に溶け込んでゆきました。

彼らは私達のことなんか把握すらしていないはずなのに、そんな私達に「生きていて欲しい」と言うんです。無責任にも程があるじゃないですか。だけど、そんな彼らに私は魅了されてしまった。

生きる気力も死ぬ勇気もないような何も無い自分にとって、空いていた穴が塞がるように私の心に入り込んできた彼らは、今では私の支えであり生きる希望、そして何も無い私を、特別だと錯覚させてくれるような、そんな光なのです。

だけど、彼らは私たちを救ってくれるかもしれないが、私たちの人生丸ごと背負ってくれいる訳ではないし、全てを肯定してくれるといってもそれは逃げ道、逃避先であったりもする。彼らの存在は、私自身を成長させるためのものではなく、今の現状を肯定してくれるような甘い蜜なのかもしれない。

だけど、私はそんな彼らに魅了されてしまったから、私はパンクロックと共に生きていこうと思う。他人から見た自分が、どんなに救いたい形をしていなくても、それでも。

どんなに苦しい事があったとしても、居なくなりたいと思ったとしても、一旦立ち止まらせてくれる彼らは、私の人生をぐるっと変えてしまった。

だから、責任取ってよねと言わんばかりに彼らに執着していたいと思う。彼らが居なくなったとしても、音楽だけは残り続けるから、私はこの暖かい底なし沼に、自らの意思で浸かり続ける。

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