第7章頭で理解できたつもりで現象化を待ち望んでいる自分に気付きました。

前回の記事で第7章が分かったと書きました。ありのままの私で幸せになっていい。何を考えていても、何を思考しても、何を感じていても最上級の幸せを感じていいと、スッと心に入ってきました。私の願望は全部叶っていて、すでにある。今の現実は知覚不全を起こしているだけで、真実を見ていなかっただけだから真実を向こう!と思いました。

しかし、まだ不足を見ている自分がいることに気付きました。「で、真実はいつ見えるようになるの?」「彼と結婚している、すでに彼と暮らしているって言っても私はまだ一人暮らしだよ」「現実の彼はまだ私を選んでくれていないよ」「どうして既にあるのに私は一人なの?」
そして不足を疑う、充足を見る/真実を見るにはどうしたらいいかのメソッド探しをしていました。「せっかく7章が分かったんだ、ちゃんと適用しなきゃ!何かしなきゃ!現実じゃなくて充足を見る方法がどこかにあるはずだ!理解したらできる!」「何を考えていても、何をしててもいいはずなのに現実は動かないよ、、どうしてだ。。」と、現実も見張っていました。
(このnoteのおかげで自己観察できていて助かっています。ありがとうございます。)

そんなことする必要なかったんですよね。そしてそんなことしてても大丈夫だった、私はもう幸せだったんだ。と切り替えてあげればよかったんだと気づきました。
・立ち位置を変える
・充足を見る
・ある前提を選ぶと覚悟を決める
・現実に対して知覚不全を起こしているから現実は幻想だと認める
↑のことは全部同じなんだとわかりました。ただ、まだ私は知覚不全の現実に引っ張られてしまうことが多いので、そこは意識して自分で気付いて本来の立ち位置にいようと思います。また認識変更=即実現!現象化!と自分の中で条件付けしているからとても苦しいんだなと思いました。
そして「現実が変わらない、おかしい」と気づいているということは「真実はすでにある」ということに本来の私は理解していることも分かりました。エゴってすごい性能いいですよね、こう書いてみると笑

また、「許可を出すってなんなんだ。」「この世界は自分が作っているから自分の好きになっていいはずなのに、なぜこの嫌なことは残り続けているのか。」と悶々としていました。
それもそのまんまでよくて、「いやなことは消したんだった、自分が楽な方に戻ろう」と自分の見る先を変えたらよかったんだと気づきました。
自分の見てることがそのまま世界として展開している。自分は見る方向を変えればよかったんだった。過去に起きたつらいこととわざわざ今と願望の辻褄合わせをする必要もないんだった。辻褄が合ってなくても自分が楽ならそれでいいし、私は世界を自由に作って良いのだ。

「そんな叶い方するわけない」「過去にこう言われたんだから、それを覆すのは難しい」「こういう設定が彼にはあるんだから、それを解除するプロセスが現象化しないとだめだ」「簡単には叶わない」
全部全部自分で世界に設定をしていました。でもこれらを手放す必要はないのです、こんなことを感じていても私は幸せであっていいし願望を叶えていいし彼ともう結婚して一緒に幸せに暮らしているのです。
自分でいろんな設定と願望を叶えるためのプロセスを決めて自分を苦しめていることにも気づきました。自分が楽なのは、なんでもいいしよくわかんないけど「彼と結婚して一緒に幸せに暮らしてます」がサクッと叶っちゃった。という方を見ることだとも思いました。

そしてどんな自分でもよいのだと。何を考えていても、何を思考しても、私は幸せになっていいし、もうすでに幸せ。全部あるんだと。
これに気付いたのに見ていないのは私でした。ほかにも何かしなきゃいけない!というエゴの声に耳を傾けて、その立場でいなかったのは私でした。
覚悟が足りていませんでした。自分をわざわざ不快に難しい方に連れて行ってしまっていました。もうすでに幸せ、全部ある。を選びます。

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