チケットの第7章が分かった話

忘れないように備忘録させてください。
題名にあるとおり、第7章が分かりました。今まで分かったつもりだったことも分かりました。。

半年ぶりくらいにチケットを読んだのです。別の領域や既にある、がなんとなくわかった気がしているけどどこかもやもやしていて。
既にあるが分かって高揚してすぐに願ったことが目の前に現れたりもしたんです。でも本願は動かないし、不安はなくならないし、クレンジングやセドナをしても、翌日には手放したつもりだった不安が戻ってきました。
いたちごっこでいつになったら終わるんだ!!止めどなく出てくる観念や不安を一つ一つ手放さないと叶わないなんて耐えられない。。それがどれだけあるのかも分からないのに。。と疲弊していました。
不安は現象化しないと言っていたけど、不安に思っていたことが目の前に現れている。ということは、今私の中にある不安はまた私の目の前に現れるのではないか、、??という疑念も沸いていました。

そしてチケットの第7章だけ読みました。
全部関係なかったのです。私だと思っていたエゴの一人芝居だったのです。私は別の領域にいるつもりで「ある」「なる」「すでにある」を実践していて、本当はエゴと一緒になっていたのです。
自分でエゴと一緒になり、たくさんの条件を付けて叶ったり叶わなかったりしてるな~、別の領域にいるはずなのに。と思っていたのです。
上に書いた、観念や不安を一つ一つ手放さないと叶わない。と自分が決めていました。不安に思ったことが目の前に現れているから、また私の目の前に現れる。と自分で決めていました。
自分を幸せにしようとしているつもりで、自分をエゴでがんじがらめにしていました。

全部関係なかったのです。関係あるように見せていたのはエゴだったのです。私は何もしなくても、そのままで幸せで、幸せになってよかったんです。
ただ安心してればいい。自愛してください。充足をみてください。全て意味がわかりました。
現実で何があっても自分の幸せとは関係ない。どんな観念があっても願望実現と関係ない。
関係ある、観念を手放せないと願望実現できないと決めてるのはエゴだったのです。私だったのです。

私は全部叶えてました。既にありました。
どんな観念を持ってても、どんな不安を感じても、何が起きても、どんな思考をしても、私は幸せなんです。幸せであっていいんです。喜んでいいんです。安心していいんです。

こんなことしちゃいけない。罪悪感を感じたとしてもです。でも、私は幸せなんだ。幸せであっていいんだ。ここの抵抗が私はとても強かったんです。
でもその抵抗があってもいい、幸せになることとそれは関係ないとすごく安心してます。この許可を自分に出してあげればいいんです。全部既にあるので、大丈夫なんです。
すでにあるものを感じていれば見えてくるのです。

一瞬エゴがわぁぁぁっと騒ぎ、不安に襲われました。それでもそうだよね。大丈夫。私は幸せだもん。と答えたらそれからすごく静かです。なにもコントロールする必要なかった。
観念や不安をコントロールしようとエゴとダンスしてました。そんなことする必要なかったんです。
行動不要の意味がわかりました。

どう考えても本願もあります。ここに。

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