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まだ幼児の孫に徐々に死生観を持ってほしいと願う私であった

先日孫が熱出してお世話に行ってきたわけだが(すぐ元気になったけどね)
おもちゃの整理をしていた時
朝はあったはずのボーリングの球がない!

遊ばせながらあっちこっち探したけどない!
狭い部屋だからどっかにあるはずだがない!

で、夕方になって4歳の孫が「あった!」と見つけたんだけど
何回も物をどかしたりして探した場所に
ポンと置いてあった⁉

「じぃじかぁ?」
「じぃじが隠したんだね!」
孫も私も思わず出た言葉

いたずら好きで孫と遊ぶのが大好きだったから
充分ありうる

そのあと「じぃじと遊ぶの大好きだった」「飛行機で帰るとき泣いたんだよね」娘が里帰りで下の子出産の時7か月くらい居たから帰りたくなくなったんだよね


こんな思い出話してたら
「ばぁばはいつ死ぬの?」
「私はいつ死ぬの?」
と聞いてきた

きっと大好きな人もいなくなってしまうんだ
という事を身をもって知って不安になったんでしょう

ドギマギしてとりあえず
「誰にもわからないよ」と答えたが…

誰にも分らないから楽しく過ごしてね!
という事を伝えたかった


どんなに大切で大好きな人であっても
いつかはさよならする時が来る
それを小さいうちから少しずつ少しずつ
感じていってほしい

今回思いがけない質問されて
4歳のちっちゃい頭でいろいろ
考えているんだろうなぁと思った

死生観というと大げさかもしれないが
どんな人でもいつかは死んでいく
早い遅いや原因は様々だけど

それは自然の摂理ということ
自然の流れであることを理解できるようになってほしい


というのも日頃Xの投稿などで
何年も何年も亡くなった方への想いから離れられない
投稿を目にするから

いつまでも悲しみの沼の中にいて
悲しみに執着しているように見える

自分の人生は?
自分の人生はいらないの?


それに
グリーフケア関係の人か誰か
「いつまでも立ち直れないのは相手に対する愛が深いから」
という様な事を言っていて
なんだか違和感を覚えた


大切な人を亡くして悲しまない人なんていませんよ
ずっと悲しいし思い出す
愛の深さは皆同じ

悲しいけど
人間はいつか死ぬ
当たり前の自然な事

それに魂はなくならない
いつもそこにいてくれてると思っている

それを信じているか
日頃から死生観を持っているか

この違いかと思う


しかし考え方は人それぞれだから
嘆き悲しみ続けるのが愛の深さと思うのも自由です


孫たちには
少しずつ死生観を持っていってほしい
これから先悲しいお別れはまだあるのだから

悲しみと出会っても
自分の人生をしっかり生きていけるように
というのが老い先短いばぁばの願いです


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