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親は、大好きな子どものために無理はしないほうがいい。
内田樹さんの本『だからあれほど言ったのに』を読んだ感想 その①
相手が自分の大好きな子どもであっても、その子のために無理はしないほうがいい。無理なことをすれば、それは親の子どもに対する心理的な「債権」になるからである。
ドキッとする。
子どもの事で、親が無理して慣れないことしてどっと疲れたり、まわりに見栄をはった結果、軌道修正きかなくなったり。
うちの子、なんでこうなった?
愛情いっぱい注いできたはずなのに。
子どものために、費やしてきた時間、お金、精神的なものも。
皆が当たり前にやっているように見える塾の送り迎え、進路説明会や先生との面談が嫌で嫌で、自分は母親としてダメなんじゃないだろうか、と思ったりもした。
幸せも楽しい思い出も、たくさんもらってるのに、わがままなのかな。
うちは、お金の事はあけ透けに子どもに話しているから、親のお給料がいくらとか、家のローンがどれくらい残ってるか、も知っている。
だからきっと、辛くなっても、習い事をサボったり、学校を辞めたりはしないだろう。
でも、自分が壊れそうになったら、いつでも辞めていいし、別の場所に引っ越してもいいよ、っていうスタンスでこちらがいることは伝えている。
今の世の中では「愛する」ということが人間の感情のあり方としては至上のもののように思いなされているようだが、ほんとうにそうなのだろうか。
私はそれよりも「敬意を抱く」ことのほうが感情生活においては大切であり、困難なことではないかと思う。
「私、自分の子どもにあんまり興味無いみたい。もちろん好きなんだけど、私とは別の人だから。」と言える職場の同僚が、新鮮かつ羨ましい。無責任のようにも思えるけど、子どもに対して敬意をもっている、といえるのかも。
そんな私も、「ご飯作るの嫌い。」「私、子育て向いてないかも。」と周囲に漏らすことがある。
そんなことがと言えちゃうような、母も生きやすい時代になった。
「令和のおばさんは自由よ!」と叫びたい。
他人と比べて卑屈になることの無意味さよ。
私の幸せは、私が決める。