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第五回タンメン会 立石「新シン」


「おめーに食わすタンメンは、小分けにしろ」
の巻

(2022年6月)

梅雨の晴れ間といえば聞こえはいいが、もわんもわんな空気が漂うジメ暑い一日、呑兵衛の聖地バナラシ(メッカではない)こと京成立石に降り立った。

不満はあっても、カメラにはピース。


「ここ、不便だよ。いったん青砥行ってから、乗り換えてUターンだよ。だいたい京成電鉄は弱冷房車もないし、特急ばっか走ってるし、どうなってるの」
先着の大川さんは、会うなり文句たらりんである。しかし足の具合を心配して、地図上で大川さんちから近い店を3軒候補に出したら、立石を選んだのは大川さんなんだけど。
お馴染みの遅刻で現れたマコトも、「まさか、青砥で乗り換えとは」と文句のような言い訳から入る。
ぼくは鉄道会社の人間ではありません。
まあまあ、と四路線使って一番遠いとこから来たぼくがなぜかふたりを宥め、まずは駅南口を散策。

ザッツ・アーケード街。
老人とトイレ問題。


昭和という名の煮しめた醤油がこびりついたアーケード街を歩くと、ふたりのフーテン老人の機嫌はすぐに上向きに。大川さんは一軒一軒足を止めて覗き、マコトは動画を撮り出す。
立石は駅前再開発が決定している。ごちゃごちゃした街並みは一掃され、どかーんとご立派な高層ビルが建つ予定だ。いまの姿を脳みそや動画に記録しておくのは、意義あることである。ま、大川さんやマコトでは、動画を撮ったことさえいつまで覚えているか怪しいけど。
「再開発されたら、もう来ないだろうな」
とマコト。もう、って我々3人とも、立石は初訪のはずだ。東京は広い。ずっと住んでても、降りたことのない駅だらけだ。
でも、マコトの気持ちはわかる。マコトの住む十条も、駅前再開発が進んでいるからだ。ごちゃごちゃした魅力は消え、マコトはきっと住みづらくなるが、利便性は増し、地価は上がる。マコトの老後は、より安泰となる。
「ゴールデン街は、当分あのままだろうなー」
再開発というか、地上げが一度断念された街で店をやっている大川さんも、なんか感慨があるようだ。意見としてまとめる気はなさそうだが。
「西荻窪は、いまのままでよろしい!」
ぼくの住む街だって、駅前の道路拡張問題を抱えているのだ。
いつもとは逆に、まずはコーヒーを。
というのも、今日の店は昼営業をしていなくて、16時開店、26時閉店という聖地立石時間で営業しているのだ。
アーケード内にある、煮しめた醤油がさらに味噌化してしまった喫茶店「ルミエール」へ。

アーケードの空気に当てられ、早くもやや疲れ気味か。
気がつけば、半分飲んでしまっていた。


「あべし」
ドアを開けた途端、タバコ臭を超えたヤニ臭があたたたた!と鼻と目を襲う。北斗タール拳と南斗ニコチン拳の乱れ打ち。昭和はまだ死んでいない。ひでぶ。
さすが、立石番外地。東京都条例、なにするものぞ。しかも、京成電鉄とは逆の全館弱冷房設定である。大川さん、よかったね。よくないか。
アイスコーヒーみっつ、を注文。
「今回こそ、日本の将来について語って、アホのイメージを一新して」
とぼくが振ると、大川さんはうなづいた。
「昔、トージってあったじゃない」
「うん?」
日本酒好きのぼくは「杜氏」の字が浮かんだが、そんな専門的な職種名を大川さんが知ってるだろうか。
「ほら、旅館に長居するやつ」
「ああ、湯治か。いまでも、東北のほうとかやってるよ。それが日本の将来と関係が?」
「老人問題の解決だよ。みんな、一年のうちひと月くらいは、温泉に行けるようにすべきなんだよ。とくに軽井沢とかに別荘がない、あたしたち庶民は」
「ぶほっ」
マコトが咽せた。秘孔でも、突かれたかのように。でも、血が吹き出しはしなかった。かわりに、
「鼻からコーヒーが出そうになった」
大川さんは、首をひねった。
「なんだっけ。鼻から出るの」
ぼくは答えた。
「鼻から牛乳」
「それだ」
大川さんの天然ボケは、お釈迦様でも草津の湯でも、治せそうにない。
そんなわけで日本の将来に関わる湯治問題はうやむやになり、我々は実際の空気はともかく、空気感は超素敵な昭和もわもわ時空をあとにした。
さあ、行きますか。
もわもわを出ても、あいかわらず外は、もわんもわんとジメ暑い。「冷やし中華始めました」の幟を探したくなるが、我々はあくまで「タンメンやめません」と旗幟を鮮明にするのだ。なぜなら我々は、タンメン会だから。夏、なにするものぞ。心頭滅却しても火は熱いが、タンメンは食える。

金、金、金。金が大好きなマコト向きの店名。
最初、ややお高めと思ったのは大きな間違いだった。


目指す店は、すぐ発見。
「新シン」
「シン」は「森」の字の「木」のかわりに「金」をみっつ重ねた字なのだ。金の亡者の経営でないことを祈り、入店。
テーブル席に座って、いつものごとく「瓶ビール」を注文。つづいていつものごとく「ギョーザ」と言って、マコトはなぜか間を置いた。魔物がはびこる音楽業界で磨いた、野生の勘が働いたのかもしれない。
「いくつ?」と中国の人らしい店長あるいは店員さんが訊いてきた。残念ながら、マコトの野生は飼い慣らされてしまっていたとあとで気づくことになる。
「ふたつ」
オーダーは通ってしまった。店の人も止めなかった。しかもボンクラなぼくは、マコトに余計なことを言ってしまった。
「あと、なんか、好きなもの注文したら」
「じゃあ、レバニラ炒めも」
これまた、オーダーは通ってしまった。
すぐに、ビールが来た。中瓶だが、べつによろしい。が、しかし。
「これ、お酒のひとにサービス」
ずっしん。
大きな皿に、豆腐とキュウリとモヤシがてんこ盛り。これだけで立石ヘビー級の飲兵衛なら、何杯でもいけそうだ。

料理いらずの突き出し。
さらば、表面張力。


我々は、悪い予感に捉われた。そこへ、先客でお隣のおひとりさんのもとへ、どっしん。届いた水ギョーザは、6個と数こそ普通だが、ひとつの大きさが、優に一般的サイズのギョーザ3個はあるシロモノだった。
「‥‥」
本来おしゃべりな老人三人組は、無言でビールをちびりと飲んだ。
(おいおいおい)
(聞いてないよ)
ふたりの心の声が、この店を提案したぼくの心の鼓膜を震度7で揺さぶる。
つづいて、お隣さんに焼きギョーザも届いた。太めではあるが、このふた皿をひとりで平らげる猛者とは、見抜けなかった。
そこへ、新しいおひとりさんが。
「ギョーザとレバニラ炒めとライス」
老人三人組は、顔を見合わせた。もしかするとここは、大食い選手権者が集まる店なのか。厨房にテレビ東京のスタッフが潜んではいないか。

あるべき姿のレバニラ。(量は除く)


ぐわっしん。
我々のもとに、レバニラ炒めが届いた。
つい先日ぼくが練馬で食べたものに近い、ほぼレバとニラで、モヤシがちょびっとの素敵な一品だ。(余談だが、モヤシだらけでニラちょびっとのものも正々堂々レバニラまたはニラレバを名乗っているのは、如何なものか。あれはモヤシレバとすべきだ)で、一品だが、量は二品ぶんはある。
「まあまあ、これはなんとか」とマコト。
「うん、いけるね」とぼく。
「わたし、少なめで」と大川さん。
レバとニラなのに、素直な味だ。するする、入る。が、するするは減らない。

二人前。(大巨人向け)
大川さんの顔がちいさいのではありません。


ずどっしん。
ギョーザ二人前登場。てか、ギョーザ山脈。K12峰。見ただけで、高山病にかかったかのごとく、息が荒くなる。ぜいぜい。いま、指にパルスオキシメーターをつけたら、90割れの数値が出そうだ。
注文した責任を感じたのか、マコトが手を上げた。
「持ち帰り用のパックもらえますか」
もらえた。高山病は、とりあえずおさまった。
4個をパックに詰める。一杯だ。もう1パック欲しいが、老人にも虚栄心はあるのだ。残りは、ここで食うべし。
アツアツのギョーザもまた素直な味で、あとがなければぱくぱくいけたが、あとを考えると心臓がぱくぱくした。
さて、我々はなに会だっけ?
タンメン会である。心頭滅却。
ここで、あとから来たおひとりさんの注文が、ばかん、ぼかん、どかん。
かき氷みたいに盛られたライスは、大仏様のお供え用に思えた。ちーん。南無〜。
「パックください」
先客のおひとりさんが、ギブアップした。やはり水焼きギョーザ山脈12峰単独登頂は無茶であったようだ。
「パックください」
あとからのおひとりさんも、すかさずギブアップ。どうも、我々含めて、全員がこの店初心者であったようだ。
「タンメン、小盛りにしてもらおうか」
マコトがハト派な提案をするが、ぼくはタンメンだけはタカ派だ。
「死ぬ気で食べれば、なんとかなる。大川さんのぶんもなんとかする」
根拠はない。自信もない。食欲もあまりない。が、使命感がある。無意味な使命感が。
マコトが仕方なしにうなづいた。
「すみません、タンメンだけど、三人前いけますかね」
店長あるいは店員さんは、すかさず提案した。
「みんなで小分けにすればいいです」
ぼくは心で手を合わせた。ありがとう、店長あるいは店員さん。あなたは金の亡者なんかではありません。気前がよくて、同時に気遣いができる素敵なひとです。

小分けの器にやさしさを見た。
小口切りのネギが、我々の胃袋を助けてくれた。
マコトも撮影せずにはいられない。


ずどどどーん。
迫力あるどんぶりが置かれた。
炒め煮した野菜の上に、大量のネギが刻まれているタンメンだ。
スープをすする。過重労働を強いている胃腸に、すすーっと染みる、まさに野菜出汁の上湯(シャンタン)である。
「へー、タンメンって、スープから飲むんだ。知らなかった」
大川さんが真似をして、スープから口をつけた。べつにルールはないが、ぼくはいつもそうしている。そしてタンメン会は、すでに五回目である。
「うまい」
それでいいのだ。
不思議とタンメンはするする腹に収まっていった。大川さんは、大どんぶりに顔を突っ込み、スープを残らずすすり込んだ。あっぱれ。

優勝力士の盃並みのどんぶり。ごっつぁんです。


やさしい店長かあるいは店員さんを交えてパチリ。


ごちそうさまでした。くらくら。
店を出ると、近くを流れる中川の護岸にあるベンチで、食休みをしながらバカ話に興じた。
そして恒例の、トンチンカントリオ漫才タイム。

中川よりだいぶちいさな大川さん。


どんな流れだったろうか。日本の将来問題かもしれない。マコトが珍しく、文学に話を持っていって始まった。
「コインロッカーベイビーズに、出てきたよ」
「おっ、村上龍を読んでたのか。それも上下巻で厚いやつ」
「そういえば、久しぶりにテレビで村上龍見たけど、おじいさんになったねー」
おばあさんが、自分を棚に上げた発言をしたが、マコトは自分のお利口さんぶりを主張。
「ほかにも読んでるよ」
「限りなく透明に近いブルー?」
「違う」
「69?」
「違う。なんだっけ、書を捨ててなんとか」
「書を捨てよ町へ出よう、だろ。それは寺山修司だ。まったく別人」
「なんかそのタイトル、見る前に跳べ、と似てない?」
「ほんのちょっとしか似てないし、大江健三郎だろ。それは」
連想が跳びすぎ。大川さんは考える前に跳んでる。だから大腿骨骨折するのだ。
構わず、マコト。
「長野県知事が書いたのは、なんだっけ」
「田中康夫のなんとなくクリスタル、だろ。県知事なんて、大昔だぞ」
「それ、読んだ」
「すぐ読めるし、いつの話だ。村上龍はどこいった」
「でも田中康夫って、すごいよね。湾岸のディスコ通ってたじゃん」
新宿が精一杯だった大川さんの的外れ発言に、ぼくはつい口を滑らせてしまった。
「ぼくは湾岸のディスコで、結婚式の二次会やって、船で登場した」
「で、みんなに石投げられたんだっけ」
「それって、いつの結婚?」
「1回目」
あー、ツッコミ役のつもりが、ぼくまでアホに巻き込まれていく。いいけどさ。

まさか、我々は立石で入店拒否か?
昭和枯れすすき。
さらば、立石。


1時間半ほど川風に吹かれてから、今度は駅の北口を歩いた。旧知の西村くんがやってる聖地の新名店「ブンカ堂」を見つけ、入ろうとしたが席がなかった。
まだ腹パンだったし、我々はブンカ堂のブンカ度を確実に落としてしまうので、それでよかったのかもしれない。
夏至前日の陽も暮れかけた。さあ、ややこしい京成電鉄に乗ってそれぞれのおうちに帰ろう。

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