きみの色
この記事は感想でもレビューでもありません。下書きに放置されていたきみの色に関する文章の供養です。
アニメ映画「きみの色」を観ました。先月、公開日の翌日にも一度見ているので二回目です。私は一ヶ月に一回映画館に一人で映画を見に行く権があるのですが、その二ヶ月分をきみの色に費やしていることになります。
監督である山田尚子さんの作品は昔から好きでよく観ていて、特にきみの色に関しては、特報予告でこの映画の主題歌とも言える「水金地火目土天アーメン」が流れた瞬間にバチーンと来てしまい、楽しみにしていました。
きみの色は、人の良いところが色となって感じられるトツ子、ある日突然学校を辞めてしまったきみ、離島の病院を継ぐために勉強をしながら一人で音楽をしていたルイの3人がバンドを組む話です。
きみの色はこれまでの山田尚子さんの作品の中でも特に抑揚の少ない作品です。美しい映像と優しさに溢れたプロットは、人によっては肩透かし、期待ハズレに思えるかもしれません。
しかし私としては、なんと言いますか、表現力がある一定のレベルにまで達してしまうと、ドラマを描くための葛藤やその解決、ドラマそのものは焦点のあたらない背景にあるだけでよくなるというますか、斬らずして斬ると言えば良いのか、護身を極めるとそもそも危険に近寄れなくなるみたいな、そんな凄みを感じました。描くのは綺麗なものだけでよい……。ドラマになる前、劇的な感情や言葉になる前の心の動きだけを丁寧に丁寧に描き続けた作品だと思います。
比較対象としては日常系4コマ漫画を原作にしたけいおん!が筆頭に挙げられるでしょう。人物の配置や舞台設定などは、原作の無いオリジナル作品としてアニメけいおんの変奏をしていると捉えることもできると思います。私が、けいおんの時とは明らかに違うと感じた点は、ドラマや「善きもの以外のもの」はそこに確かにある、しかしそれを描かないという選択をしているところです。
ビジュアルとして特に印象に残ったのは瞳やその周りの描写です。吸い込まれるような瞳の作画によるファンタジーと、アップになった時に眉やまつ毛が毛としてしっかり描かれる生感がとても嬉しいバランスだと感じました。
リアリティの中に多分にファンタジーが織り込まれている本作ですが、三人が出会う本屋、しろねこ堂は本作の中でも最もファンタジーな場所です。看板もなく路地を深く入らないと見つからない本屋があんなに広い敷地で商売が成り立つはずがない!しかも居るのはバイトの女の子一人で、客がレジに来るまでギターを弾いていて、なんなら店のテーブルで弦の交換までしている!!!オーナーは何をしているのか????
しかしそんなしろねこ堂だからこそ、いくつかの奇跡が起こる場所として成立します。白猫に誘われて再会するトツ子ときみ。そこへかなり無理めな勘違いをしながら割って入るルイ。そしてテンパッて突拍子もない提案をするトツ子。ほのかな想いもあって提案をのむきみ。バンド結成!
奇跡(あるいはご都合主義)以外の何物でもありません。しろねこ堂はクライマックスである聖バレンタイン祭への参加のきっかけにもなります。
ドラマが背景に回る本作ですが、それでも三人の悩みとその解決は劇中で描かれます。その中できみとルイの悩みは分かりやすく、その解決手段も明解です。(悩みを打ち明けるだけ!)しかし分かりにくいのはトツ子です。なにせ私には、トツ子は自分自身が悩んでいるということにすら気付いておらず、物語の最終盤、ライブ直前にきみの「トツ子は何色なの?」という何気ない質問でようやく自覚したように思えます。そしてトツ子の自分自身の色が見えないという悩みの解決手段は、誰かに秘密を打ち明けるみたいな分かりやすいものではありません。
三人はそれぞれが持つ悩みの解決が劇中では描かれるわけですが、三人はバンド活動を通してお互いに影響は与えあうものの、悩み自体はなんと各々が勝手に解決してしまいます。これは製作者の彼女たちへの信頼の表れのようにも見え、私が今置かれている環境にもリンクする部分があり、私がきみの色の中で特に好きなところです。
トツ子の未来の可能性の一つであろうシスター日吉子は、けいおんのさわちゃん先生のリフレインであろうと思います。作中に登場する大人の中で唯一心の動きの変化が描かれ、三人のストーリーの裏側にもう一本筋が通ることで、きみの色という物語が重層的に感じられるようになりました。
ここまでドラマ的な盛り上がりを抑制した上で描かれるライブシーンにも関わらず、そしてライブで特にドラマチックなことが起きないにも関わらず、二回見て二回泣いてしまいました。とにかく楽しそうに演奏するルイとトツ子、そしてクソ真面目に歌うきみの三人の姿を見ていると、この三人はもう大丈夫だなと思えます。
終わり。