ゲームは時間の無駄遣いかどうか。その問いに対する強度の高い答え。オズの原罪
この一カ月ほど、オズの原罪というスマホアプリをプレイしていました。
オズの原罪は、典型的な3マッチパズルのスマホアプリフォーマットなゲームです。ピースを入れ替え、3つ以上揃えられるなら消える。特殊な消し方をすると強力な効果を持つ特殊ピースが生まれる。特殊ピースを合体させるとより強力な効果が発動する。そのレベルの課題を規定手数内で達成できればクリア。レベルは一次元的で、基本的にその時挑戦できるのは常に最深レベルだけである。要するにキャンクラですと言えば伝わる時代はもう終わっているのかどうか。
一応ゲーム開始時に意味深なストーリー的なものは語られますが、本編でその後が語られることは今のところありません。レベルを進めていくとキャラクターを解放し、キャラごとのサイドストーリーを読むことができますが、やはりそれほど力の入ったものとは感じられません。
何となく意味深でエモな感じだけ醸し出して別に本編ではそういう話はやらないという部分に関してはメメントモリを思い出します。本作プレイ中は全編でエモなピアノ曲が流れています。
ゲームが時間の無駄遣いであるかどうか、という問いに対して、ゲーマーであればゲームが人生のこんなところで役に立ったのだ、言い切れる経験の一つや二つや三つや四つくらいは簡単に挙げられもするでしょう。
しかしこのゲームをプレイしている間は、やはりゲームは時間の無駄遣いであるという確信が私の中でむくむくと膨れ上がるのを感じられました。私はなぜピースを入れ替えて氷を割ったり鎖を解いたり犬の兜を剥いだり鳥を画面の下の方に移動させようとしているのか。私はなぜこれ運ゲーだろと思いながら時々現れる激ムズレベルにひたすら挑戦してスタミナが無くなったらやめるを繰り返しているのか。私はなぜレベルをクリアしていった先に何もないと勘付いていながらプレイを続けるのか。
いやー、やりましたね。現状実装されている全2200レベル。クリアしました。既にステージ数が14000を超えているキャンクラと比べたら少ないように思える数字ですが、いえいえ2200レベルだって中々の数です。
本作は典型的な3マッチパズルですが、昨今のパズルアプリの工夫がきっちり押さえられています。例えばレベルを連続クリアしている間だけ得られるパズル開始時のアイテムは、レベルをクリア出来なかった時に追加で追加手数を購入するかどうか判断する時に的確に私たちの脳みそに圧をかけてきます。
何度も失敗しているレベルでは追加される手数が増えてくれるのも憎い工夫ですね。何度もプレイしていればいつかはクリアできるだろうという期待が、クソレベルにぶち当たった私たちがこんなんもうやらんわとゲームから離脱するチャンスを奪います。そして大半のステージはそんなに難しくないのもキモで、お陰でクソレベルをクリアした後もダラダラとプレイを続けられてしまいます。
ゲームは時間の無駄遣いであるか否か? その問いに対する強度の高い答えがこのゲームにはあります。
はい!ゲームは時間の無駄遣いです!ピースを入れ替えて3つ揃える作業には何の意義もありません!
ちなみにこのゲームには全プレイヤー対象の到達レベルランキングが1000位まで見れるのですが、2200レベルに到達してもランク外です。みんなやってんね。
このゲームは確実に私の人生の役には立ちません。何なら他のゲームをやる時間すら奪うのでそういう意味でもキツい。でもやるんですよね。役に立つかどうかじゃないので。
終わり。