24時間テレビよ

紅白と24時間テレビは似ている。それぞれテレビにとって象徴的な番組であり一年に一回定期的に長い間放送され風物詩となり(かつては)高視聴率で人気があった番組だ。それ故にまた、批判の対象にされやすいということ

当然、今年の今回の24時間テレビも放送のひと月前から話題に事欠かなかったし、運がいいのか天罰なのか当日に台風が大接近というおまけ付きであった。そんなわけで、珍しく注目をしていたところマラソンを終始追走するYouTube配信者を見つけて興味深く長時間にわたり見入ってしまいました。
さて放送されない現場の裏側はというと・・・うん、分かってた、知ってたけど、ほとんど走らないんだね。休憩時間も場所も、時々だけどしっかりあるよね。コメント欄の皆もそれを批判しつつ、楽しんでいる。

24時間マラソン、24時間マラソンですか・・・ちょっと考えれば分かる話だけど、フルマラソン完走なんて普段から走り込んでいる人じゃないと厳しい。それを24時間走り続けるとか100キロ走るとか24時間テレビなんで勝手に「ウルトラ」マラソン解釈がおまけに添えられちゃってるものを4050のおじさんおばさん体格のいい、どうみても普段運動してない芸人やらにやらせるの?。実際何キロ走るの?何時間走るの?24時間不眠不休なの?それに関する正確な発表はしない、という矛盾。そもそも走るコースも公表しないんだからね。ただ歩く姿は絵にならない、競歩はスポーツとして確かにあるけど、マラソンや短距離走に比べてやっぱり人気はない。単純に見栄えがしないからね。でもガチの競歩選手は一般人が走るより早く、歩く、だからスポーツとして価値があるわけだ。多くの人に関心を持って観てもらう為には、24時間長距離歩行じゃ都合が悪い。テレビ的には懸命に頑張って厳しい表情で「走って」もらわないと絵にならないわけだ。

テレビが強かった時代、メディアがテレビ、新聞、雑誌、ラジオしかなかった時代はそれでよかったのよメディアは舞台でありSHOWなので、リアルな現実じゃなくて創られた偽りのきれいな花を咲かせる場所でよかったのだ。制作者であるテレビ局が情報をコントロールできたし視聴者だって薄々、そのことに気づいていても騙されたふりして楽しんでた部分もある。でも、赤裸々な舞台裏を動画でネット配信されちゃう時代もうこのやり方は通用しないのだよ。結局大本営発表というタテマエと現場、現実のズレをリアルな映像で見比べて、それを揶揄しているネット視聴者のコメントをリアルタイムで確認しつつ、それを楽しんで消費しているのが今の私のポジションだ。

マラソンだ!って大風呂敷を広げた以上、番組開始にスタートして終了間際にジャストゴールさせるそのカタルシス、というか撮れ高、テレビ的構成、絵面の良さ、企画というタテマエから逃れられない。本当の現場、現実とのリアルの乖離を埋めることはできない。バラエディなんだからいいだろって、そういう言い訳が通用しなくなってきた。社会福祉を盾に募金を集めてるし、テレビには報道機関としての役割もあるからね。
そういう矛盾を多目に見てくれる風潮が消えてしまったってことだ

テレビ制作者も広告主も馬鹿じゃない。あちら側も承知の上だ。「わかっちゃいるけど、もうやめられない、変わることもできない」ってとこなんだろう。テレビ局と制作会の若手社員が中心になり、大胆な改革をした24時間テレビを作ることは不可能でない。例えば、一部コースを情報解禁して観覧可能にしてスマホで撮影可能、SNS投稿推奨にするとか、休憩場所と時間をはっきり定め、ネットで丁寧に周知させる。そしてメリハリをつけてランナーにしっかり走ることのできる状態を長く保たせるとか。見せ場を短く限定するとか。でももし、そんな大胆な改革が日本テレビで許されてるならとっくに24時間テレビ自体、終了させられただろう。番組の出演者もネットインフルエンサーを無視できなくなっているし、TVerの展開や地上波番組の一部ネット配信が増えて久しいけど、テレビはまだこれまでの地上波配信はネットに勝っている、というか軸足・土台にしている。それは経営的には当然かもしれないが、動画配信の技術とユーザー、端末の普及がここまで来ると影響力としてトップに君臨するネットの補完メディアとして地上波を再認識しないと視聴者からは呆れられるのみだ。それはラジオや出版媒体が、自らを謙虚に捉えネット時代に生き残る為に必死に苦しみながら改革している姿を見習ってほしい。





いいなと思ったら応援しよう!