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友人の変化をがんばっているんだなと受け入れられるかどうか
幼なじみの友人に久しぶりに会う。
懐かしい気持ちと新鮮な気持ちが交錯します。
いつかはみんな別々の道に進むことになります。みんな新しい一歩を踏み出します。新しい世界に挑戦します。人間は出会いや別れを繰り返して成長していきます。
いつまでも同じ世界に居続けることはとても心地良いです。ラクです。でもそれでは人間は成長しません。自ら新しい世界に飛び込むことは勇気が必要です。だからこそ、卒業や入学という学校の制度は強制的に新しい世界に飛び込むことなので良い制度なのかもしれません。
卒業して何か月か経つと昔の友人に会いたくなります。同窓会を開催すると、懐かしいなという気持ち、何も気にすることなく好きなことを言い合える仲間、現在の報告。いつまでも話は尽きません。
見た目が派手になった人、言葉遣いが変わった人、陽気なキャラになった人。しばらく会わなかっただけで印象が変わる人も少なくありません。
この友人の変化に対して、自分はどんな感情を抱くでしょうか?
「昔と変わってなんだかイヤだな」と思うのか、
「あいつの新しい一面を見られてよかったな」と思うのか。
否定的にとらえるか、肯定的に受け入れるか。
友人の変化を受け入れる度量があるかどうかはイコール自分が良い変化をしているかどうかという指標かもしれません。
否定的にとらえる場合、
自分自身が新しい世界になじめていないのかもしれません、不安があるのかもしれません。だから、新しい世界に飛び込んで変化した友人に対して妬みの感情が生まれています。
「今までとは変わってしまった」という言葉を使うことで、今までの世界に友人を閉じこめようとしています。今までの世界に閉じこもるため、昔の話ししかすることができません。
肯定的に受け入れる場合、
友人の変化を素直に受け入れることができる力。これはすばらしい能力です。自分が変化していないと、この力を手に入れることはできません。
自分自身が変化しているからこそ友人の変化を楽しみ、さらに自分も変化しようという意識を持ちます。変化した者同士で新しい世界の会話をします。その会話からお互いに刺激を受けてさらなる成長につなげます。
このように友人の変化を受け入れるか否か、
それだけのことで自分自身が変化しているかどうかを見極めることができます。
人間なのでどうしても他人と比べてしまいます。他人の成長を素直に喜べないことがあります。
そんな自分も受け入れて、いつの日か友人の成長を素直に受け入れられる人間になりましょう。